風雅楼、水音、冷気

X月X日:始まり

風雅楼に足を踏み入れた途端、異変に気づいた。
天井から、不気味な滴が落ちている。
外はからりと晴れ渡っているというのに、まるで雨粒のように。
床に小さな水溜りができるたび、私の心臓は不規則に脈打った。
かつて、あの旅館の開かずの間を巡る不吉な噂を聞いた時のように。
得体の知れない冷気が、背筋を這い上がってくる感覚に、思わず身を縮めた。

X月Y日:違和感

滴る水は、日に日にその量を増しているようだ。
静寂を破るのは、滴が床に落ちる、ぴちゃり、という音ばかり。
この不可解な現象について、何かの手がかりがないかと、私はネットで調べ始めた。
ふと、昔耳にした「検索してはいけない言葉」が頭をよぎり、ぞくりと悪寒が走る。
無意識のうちに、昔、この旅館で聞いた旅館の開かずの間の話が、脳裏をよぎった。
あの時と同じ、言いようのない恐怖が、胸の奥からせり上がってくる。

X月Z日:限界

滴は、もう止まらない。
冷たい水滴は、床を這うように広がり、まるで生き物のように見える。
私の体も、小刻みに震えが止まらない。
昔の記憶が、鮮明な幻として目の前に浮かび上がり、全身を駆け巡る。
天井のシミは、まるで部屋全体を覆い尽くさんばかりに広がっているように見えた。
水滴が落ちる音は、もう私への、何か無言のメッセージにしか聞こえない。
もう、駄目だ。

追記:発見者のメモ

この日記を発見したのは、如月三郎さんの友人である私だ。
彼の日記の最後の日付から数日後、私は三郎さんの安否を気遣い、風雅楼を訪れた。
憔悴しきった三郎さんを説得し、旅館内の配管を徹底的に調べた結果、真相はあっけなく判明した。
彼の長年の恐怖は、ただ老朽化した空調装置から漏れる冷たい水滴だったのだ。
かつて旅館の開かずの間と呼ばれていた部屋は、古びた配管と設備でいっぱいだった。その空調装置の故障が原因で、天井にシミができ、滴が落ち続けていたのである。
「開かずの間」を巡る過去の記憶と、自身の心に深く根付いていた子供の頃の恐怖が、単なる設備の故障を、得体の知れない怪奇現象へと膨らませていたようだ。
真相を知った三郎さんは、しばらく呆然とした後、堰を切ったように笑い出した。

(発見者:友人)