
もうダメだ。頭がガンガンする。胃の奥がずるりと滑るような不快感で、吐き気がこみ上げてくる。なんでこんなところで、こんな真夜中に、埃っぽい空気を吸いながら、こんな作業を続けなきゃいけないんだ。全部、あの隣人のせいだ。あの、壁一枚隔てた向こうから聞こえてくる、ありとあらゆる生活音のせいだ。
自宅じゃもう一秒たりとも集中できない。壁の薄いアパートの安普請が悪いのか、向こうの神経が図太いのか。深夜まで続く重低音の音楽、ドタバタと走り回る足音、何かを床に叩きつけるような鈍い音。まるで私の頭蓋骨に直接響いてくるみたいに、鼓膜を、脳髄を、精神を、蝕んでいく。だから仕方なく、このレンタル倉庫を借りたんだ。誰にも邪魔されずに、静かに、仕事に集中したかった。
なのに、ここでもか。
「この音が止まらない…もう耐えられない」
私の声は、広い倉庫の中で虚しく響いて消えた。借りたばかりのこの場所で、なぜか最近、不気味な騒音に悩まされている。自宅の隣人ではない。ここは無人だ。他に借りている人がいるのかもしれないが、ここまで直接響くはずがない。だというのに、ここ数日、ずっと聞こえるんだ。どこからともなく、鈍く、響くような音が。
ガタッ、ゴトン。ズズズ…
「あっ…またか!?」
思わず体が跳ねた。まただ。あの音だ。低い、響くような音。コンクリートの床を何か重いものが引きずられるような、あるいは、厚い壁の向こうで何か巨大なものがゴトンと置かれるような。自宅で毎晩聞かされている、あの隣人の足音や、何かを動かす音にそっくりだ。いや、それよりもっと、不気味な質量を感じる。腹の底に響くような、不快な振動。
ここには誰もいないはずなのに、どうして?誰かが、この私の借りた区画のすぐ隣で、何かをゴトゴトと動かしているとしか思えない。深夜だぞ?こんな時間に、何を?
私の指先が勝手に震える。コーヒーを淹れても、カップを持つ手が安定しない。もう何日まともに眠れてない?数えるのも馬鹿馬鹿しい。どうせ答えは「永遠」だ。この胸の奥にこびりついた、鉛のような疲労感が、私の思考を鈍らせる。
ズズズ…ゴトン。
今度は、音が少し大きくなったように聞こえた。まるで、隣人が私を挑発するように、わざと音を立てているみたいだ。嫌がらせか?こんなところまで追いかけてきて、私を苦しめるのか?頭の中が砂嵐みたいになって、何も考えられない。ただ、あの音の発生源を突き止めたい。誰が、何を、こんな時間に、どうやって。
その時だった。
カッ、カッ、カッ、と。
「いや、これは…!?」
突然、壁の奥、天井に近い換気口から、不自然な光が漏れ出した。点滅している。まるで、誰かが懐中電灯を当てて、何かを合図しているかのように、あるいは、何か巨大なものが、光を遮ったり開けたりしているかのように。音と連動しているように見える。ズズズ…カッ。ゴトン…カッ。
心臓がドクドクと不規則に脈打つ。全身に鳥肌が立った。皮膚の下で虫が這い回るような、じっとりとした汗が滲む。あの光は、まるで誰かが天井の隙間から覗いているみたいに見える。私の作業を、私の一挙一動を、監視しているみたいに。
もしかして、自宅の隣人は、私をここまで追い詰めるために、このレンタル倉庫にまで侵入しているのか?この薄暗い空間で、たった一人で作業している私を、あの重低音と、あの光で、精神的に追い詰めている?もう、限界だ。もう、この不快な感覚に耐えられない。
私は意を決して、立ち上がった。足元がおぼつかない。床に置かれたダンボール箱の影が、まるで私を掴もうと蠢いているように見える。胃の奥が再びきゅっと締め付けられ、冷や汗が背中を伝う。一歩、また一歩。あの換気口に近づく。
音は止まらない。ズズズ…ゴトン。そして、カッ、カッ、カッ、と光が点滅し続ける。まるで、私を誘っているかのように。あるいは、警告しているかのように。
もう、どうなってもいい。このままじゃ、私は狂ってしまう。あの隣人騒音のせいで、ただでさえボロボロの精神が、ここで完全に砕け散ってしまう。
換気口の真下まで来た。天井に近い、手の届かない高さだ。私は近くにあった脚立を引きずってきて、よろよろと登った。ギシギシと軋む金属音が、私の耳には、まるで誰かの嘲笑のように聞こえた。
覗き込む。
薄暗い換気口の奥。埃と、油汚れで黒ずんだ金属の羽根が見える。そのさらに奥。
カッ。
また光った。そして、ズズズ…と低い振動音。
「あぁ…これが原因だったのか…」
私は、思わずため息をついた。
換気扇のファンが、ゆるく回っている。24時間稼働しているレンタル倉庫の空調管理だ。そして、そのファンのすぐそば。小さな電球が、チカチカと不規則に点滅を繰り返していた。埃まみれで、その周囲の金属部分には錆が浮き、見るからに古びている。どうやら、この換気扇の内部に設置された、ごく普通の点検用か何かの電球が、寿命を迎えて故障し、不規則に点灯と消灯を繰り返していたのだ。
その点滅が、不気味な光として漏れ出し、そして、故障した電球と劣化したファンの振動が、壁を通して、あの重低音の「ズズズ…ゴトン」という音として響いていたのだ。
私は脚立の上で、へなへなと座り込んだ。
「…これで終わりか」
苦笑が漏れた。
あの、私の精神を散々苛んだ、不気味な騒音と光の正体が、まさかこんな、埃まみれの電球と換気扇だったなんて。
身体から一気に力が抜けた。張り詰めていたものが、プツンと切れたような感覚。でも、胃の奥の不快感は消えない。頭のガンガンする痛みも、吐き気も、まだそこにある。
この騒音は解決した。だが、本当の「隣人の騒音」は、まだ私の自宅で、私が帰るのを待っている。そして、また私の精神を蝕み始めるだろう。このレンタル倉庫に逃げてきた意味すら、もう失われたような気がした。
疲れた。本当に、疲れた。