
また、この時間だ。地下道のひんやりとした空気が肌にまとわりつく。吐く息が白く、凍えるほどではないが、体の芯がじんわりと冷えていくのがわかる。両親はまた出張で、この広いアパートに俺一人。部屋にいても、誰もいない空間の重苦しさに押し潰されそうで、意味もなく外をさまよっている。友達なんて、もうずっと前からいない。LINEの通知なんて、ほとんどが公式アカウントか、たまに来る親からの事務的な連絡だけ。誰からも必要とされていない、この透明な存在感が、俺の心臓をじわじわと締め付けていく。胸が苦しい。息がうまく吸えない。一人でいる時間が長くなればなるほど、誰かからの連絡を異常に期待して、でも、同時にそれが何かの不吉な知らせだったらと、得体の知れない恐怖に怯える。こんな孤独、もううんざりだ。
薄暗い地下道に、自分の足音だけが響く。コツ、コツ、と、まるで俺の存在を嘲笑うかのように。壁には薄汚れた落書き、湿ったコンクリートの匂いが鼻につく。ポケットの中で、突然、携帯が震えた。同時に、遠くから鈍い「ドスン」という音が響く。まるで、何か重いものが地面に落ちたような、くぐもった音。心臓が跳ね上がった。全身に冷たいものが走る。こんな時間に、誰からだ?まさか、また親から、出張が延びたとか、そんな味気ない連絡か?それとも、ついに俺の孤独を知った誰かが、奇妙なメッセージを送ってきたのか?視界の端で、何か黒いものが、壁の非常灯の光を鈍く、ぎらりと反射したように見えた。一瞬、心臓が止まるかと思った。
「まさか、緊急連絡だったのか…」
震える指でスマホを取り出す。画面には何も表示されていない。通知履歴も空っぽだ。ガセか?だが、あの音と光は確かに。息が荒くなる。喉が渇いて仕方ない。孤独でいることに慣れっこになったはずなのに、こういう時だけは、誰かにいてほしいと心底願う。でも、誰にも頼れない。誰にも話せない。このどうしようもない絶望的な孤立感が、俺をますます追い詰めていく。
地下道の出口が近づく。風が吹き抜け、湿った空気がさらに冷たく感じられる。その風に乗って、またあの鈍い「ドスン」という音が聞こえた。今度は少しだけ近い。そして、あのぎらつく光も、さっきよりもはっきり見える。
「待てよ、あの光は何だ?」
足がすくむ。心臓がバクバクと暴れ狂っている。胃のあたりがぞわぞわして、吐きそうだ。誰かが…いや、誰かじゃない。何かが。俺をずっと見ている、あの『孤独』そのものが、形を持って現れたんじゃないか?そんな馬鹿げた妄想が頭を駆け巡る。誰にも見向きもされない俺が、こんな真夜中に、こんな場所で、何かに見つめられている。それは、恐怖でしかなかった。
駅構内へと続く階段を数段上がったところで、ようやく光源がはっきりした。天井の蛍光灯が、地下道よりも強く、白い光を放っている。その光が、さっきから俺を怯えさせていたものの正体を、はっきりと映し出した。
「待てよ、あのゴミ袋…」
階段の陰に、黒いゴミ袋がいくつも積み重ねてあった。雨上がりのせいか、表面が濡れて鈍く光を反射している。そして、風が吹くたびに、一番上の一袋が隣の湿った壁に、ドスン、ドスンとぶつかっている。その衝撃で、中に詰まった空のペットボトルや缶が、カラン、コロンと音を立てる。
「ああ、そうだ。これはただのゴミ袋だったんだ…」
全身の力が抜けた。膝から崩れ落ちそうになる。あの鈍い「ドスン」という音は、風に煽られたゴミ袋が、湿った壁にぶつかる音だったのか。そして、俺のポケットで震えた携帯の「ブーン」という振動音と、その音が、重なって聞こえてしまったんだ。
勘違いだ。また、俺は一人で勝手に怯えていただけだった。馬鹿みたいだ。こんな簡単なことに、こんなにも震え上がって。でも、なぜこんな時間にゴミ袋が、こんな場所に放置されているんだ?そう思った途端、また、誰からも必要とされていない透明な自分が、この世界の片隅で、ただ一人、勝手に恐怖に震えていたという事実に、言いようのない虚しさ込み上げてきた。
「すみません、先ほど地下道を通られた方ですよね?」
突然、背後から声がして、振り返ると清掃員の人が立っていた。深夜の地下道に、作業着姿の人が現れる。心臓がまた少し跳ねたが、すぐに安堵に変わる。誰かの声を聞けた、というだけで、少しだけ、この底なしの孤独から浮上できた気がした。
「ああ、はい…」
「実は、今朝方、作業中だったゴミ収集車が故障してしまって。それで、急遽、ここに一時的にゴミを置いていたんです。風で揺れた時に反射光が出ただけで、ご迷惑をおかけしました。」
清掃員は申し訳なさそうに頭を下げた。俺は、乾いた笑いを浮かべた。
「ああ、それでしたか…」
もう、恐怖なんて微塵もない。ただ、また一人で、勝手に、何もない場所で怯えていた自分への、深い自己嫌悪だけが残った。俺は、ただのゴミ袋にすら怯えるほど、孤独に蝕まれている。そして、こんなくだらない勘違いでさえ、誰かに話せる相手がいない。この絶望的な孤立感は、いつまで続くんだろう。夜の冷たい空気が、肌を刺すように痛かった。