
「うぅ……」
もう何度目になるか分からない唸り声が、深夜のコインランドリーに薄く響いた。吐く息が妙に生ぬるくて、胃のあたりがじわじわと気持ち悪い。何日まともに寝てない? 三日? いや、もう四日になるかもしれねえ。この、目の奥から脳味噌を直接かき回されるような激しい眠気。鉛を詰め込んだみたいに重てえ瞼を無理やりこじ開けるたびに、こめかみがズキズキと痛む。もう頭が痒くて仕方ないのに、それを掻く気力すら湧かない。
街灯の頼りない光が、ガラス窓越しに店内に滲んでくる。蛍光灯は間引き運転されてて、薄暗い店内はまるで深海の底みてえだ。こんな時間にわざわざコインランドリーに来る人間なんざ、俺くらいなもんだろう。そもそも、なんでこんなとこにいるんだっけ? ああ、そうだ。例の「知らないQRコード」の噂。
最近、この近辺で妙なQRコードが出現するって話が流れてる。見ると呪われるだの、不吉なことが起こるだの、くだらねえゴシップだ。でも、俺はそういうの、放っておけねえ質で。それに、ここ数日、この建物から異様な光が見える気がしてならなかったんだ。まるで、俺を呼んでるみたいに。いや、それもこれも、この徹夜続きのせいで幻覚でも見てるだけかもしれねえ。まともな思考回路になってねえ。早く、早く寝たい。布団に潜り込んで、意識を手放したい。今すぐにでも、この場で横になって眠りこけてしまいそうになるのを、必死でこらえている。
重い足取りでランドリーの奥へと進む。薄汚れた洗濯機がずらりと並び、かすかに洗剤と、何だかよく分からない金属の匂いがする。嫌な予感。こんな場所で、本当にくだらない噂の正体なんか見つかるのか? どうせ気のせいだろ。そう言い聞かせても、頭のどこかで「もし本当にあったら?」という不安が渦巻く。
その時だった。一番奥の、乾燥機が並ぶ壁際。洗濯機の裏側に、ぴか、ぴか、と微かな光が点滅しているのが見えた。小さい。本当に小さい光だ。でも、その点滅が、この薄暗さの中で妙に目につく。
「あれ、なんだ……?」
焦点が定まらない目を擦りながら、目を凝らす。眠気が限界で、視界が滲む。光の点が、隣の乾燥機の影と、壁のシミと重なって……まるで、不規則な四角の集合体に見えてきた。QRコードだ。あの、呪いのQRコード。
心臓がドクン、と鈍い音を立てた。同時に、耳の奥で微かな振動音が聞こえる。ブーン、という低い唸りにも似た、機械の動作音。どこからだ? まさか、あの光のせいか? 脳が勝手に、不安を増幅させていく。頭痛が酷い。吐きそうだ。
足が勝手に、光の方へと向かっていく。一歩一歩が重く、まるで泥沼を進むようだ。早くこの目で確かめて、くだらない噂の正体を暴いて、もう二度とこんな時間にこんな場所にいる必要がない、ってことを証明して、それから、それから死ぬほど眠りたい。風呂も入らず、歯も磨かず、そのままベッドに倒れ込みたい。
スマホの懐中電灯を点ける。細い光の筋が、暗闇を切り裂いていく。光が当たると、壁のシミと影が揺らめく。そのせいで、まるでQRコードのような点滅する光が、ゆらゆらと蠢いているように見えた。
「まさか……怪奇現象…?」
冷や汗が背中を伝う。この身体の怠さも、もしかしたら呪いのせいなんじゃねえか? そんな馬鹿げた考えが頭をよぎる。あたりを見回す。誰もいない。誰もいないことを確認して、さらに不安が増幅する。頼む、誰かいてくれ。こんな状況で一人きりはキツい。ただでさえ睡眠不足で思考がまともじゃねえってのに。
ふう、と大きく息を吐き出す。心臓がバクバク言ってる。もういっそのこと、このまま倒れ込んで眠ってしまいたい。でも、このQRコードの正体を突き止めるまでは、俺は眠れない。呪われたらどうする? 眠れないまま死ぬとか、勘弁してほしい。
意を決して、光の点滅している箇所に、そっと近づいていく。洗濯機の裏の、壁とのわずかな隙間。そこに、小さな黒い箱状のものが、横倒しになって挟まっていた。その箱の側面で、小さな赤いLEDランプが、規則正しく点滅している。ランプは、電池残量が少ないことを示すように、弱々しい光を放っていた。
「あれ? これは……」
懐中電灯の光を直接当てる。埃っぽい機械の側面には、「故障修理中」と書かれた、しわくちゃの張り紙が貼られている。その張り紙のすぐそばに、それは転がっていた。
「ボイスレコーダー……?」
瞳を細め、もう一度よく見てみる。さっきまで不気味なQRコードに見えていた点滅する光は、ただの小さなLEDランプだった。ランドリーの機械のゴツゴツした影や、壁のシミ、そして俺の歪んだ視界が重なって、そう見えただけだったんだ。ブーンという微かな振動音は、電池が切れかかったボイスレコーダーが、最後の力を振り絞って録音を続けようとしている音だったのだろう。修理業者が、動作確認のために録音状態にして、うっかりここに置き忘れていったのかもしれない。
「ああ……ボイスレコーダーだったのか……」
全身の力が、ふっと抜けた。呪いのQRコードでも、怪奇現象でも何でもなかった。ただの、俺の疲労と、眠気と、そしてちょっとした思い込みが作り出した幻だったんだ。
勘違いだと分かった途端、肩の力が抜け、どっと疲労が押し寄せた。もう、立っているのもやっとだ。この解放感と同時に、とてつもない眠気が、今度は頭のてっぺんから足の先まで、身体全体を支配しようと襲いかかってくる。もう、ダメだ。このままどこかに倒れ込んで、意識を失うように眠ってしまいたい。家に帰るまで、もつだろうか。いや、もたない。絶対に。誰か、俺を運んでくれ。もう、俺は限界だ。頭が割れそうだ。目蓋は、もう二度と開かないかもしれない。