闇に光る点滅。パシャ、誰だ?

クソッ、まただ。こんな夜中に、俺は一体何をやってるんだ。ひんやりとした空気、かび臭い湿った匂いが鼻腔を刺激する。築何十年だか知らねぇ、この事故物件。壁紙は剥がれ、床は軋む。こんなところに、たった一人で子供を置いてきてしまった。仕事が忙しいって言い訳して。……いや、言い訳じゃない。本当に忙しかったんだ。でも、子供の無事を確認したい焦りが、もう何日も前から俺の胃を締め付けている。腹の脂肪が胃を圧迫してるだけかもしれねぇが、この胸糞悪さは、それだけじゃない。

玄関のドアを開けるたびに、ギィ、と情けない音が響く。鍵をかける指先が震える。疲れてるだけか? いや、違う。子供は、無事か? ちゃんと飯食ったか? 宿題は? 変なこと考えてねぇか? 嫌な想像ばかりが脳裏をよぎって、頭がガンガンする。もう40過ぎの身体に、このストレスは堪える。腰が痛い。膝も軋む。まるで自分の身体がこのボロ家みたいだ。

リビングの窓から、ぼんやりと外を眺める。街灯もまばらなこの寂れた住宅街。その先に、チカッ、と何かが光った。一瞬だけ。気のせいか? 目を凝らす。もう一度、チカッ。今度は微かに、パシャ、と軽い音がしたような気がした。雨か? いや、降ってねぇ。風か? 窓の隙間から吹き込む風が、古い建具を揺らす音にも聞こえる。
子供の無事を確認したい。それだけなのに、なんでこんなに落ち着かねぇんだ。

チカッ、パシャ。
チカッ、パシャ。

光と音が、今度は規則的に、だが間隔を詰めて繰り返されるようになった。まるで誰かが、意図的に、俺を挑発するように。
外か? 外に何かいるのか?
チカッ、パシャ。チカッ、パシャ。
遠くで光るソレは、まるで何かの電子機器のようだ。不気味に点滅する、小さなLED。こんな夜中に、一体誰が。
子供が、何か危険な遊びでもしてるんじゃねぇか? 外で誰かと会って、変なことになってるんじゃ……?
俺の脳裏に、最悪のシナリオが次々と浮かんでくる。心臓がドクドクと不規則に脈打つ。
頼むから、何でもないでくれ。

光と音の頻度が、さらに増した。
チカチカチカッ、パシャパシャパシャ。
まるで、誰かがこっちに向かって、高速でモールス信号を送っているみたいだ。
もう嫌だ。子供の顔が見てぇ。無事な顔が見てぇ。
逃げ出したい。でも、子供はここにいる。
このままじゃ、本当に頭がおかしくなる。冷や汗が背中を伝う。吐き気がする。
俺は、震える手で玄関のドアノブを掴んだ。ガチャリと回して、ギィ、と音を立てながら外に出る。

外に出ると、光と音はさらに鮮明になった。
チカチカチカッ、パシャパシャパシャ。
今度は、もっと近くから聞こえる。
もうダメだ。限界だ。俺は、足がもつれるのも構わず、その場から逃げ出そうと走り出した。
その時、光が、一瞬、消えた。

真っ暗になった瞬間、俺の恐怖は最高潮に達した。しかし、それと同時に、月が雲間から顔を出し、あたりをぼんやりと照らし出す。
俺は、呼吸を整えようと、ヒーヒー言いながら立ち止まった。
そして、恐る恐る、さっきまで光っていた方向を見た。
チカッ、パシャ。
また光った。
そこにあったのは、見慣れた、だが今まで意識していなかったものだった。
道路の端に、ぽっかりと開いたマンホール。その上に、工事用の仮設照明が設置されている。
照明は、作業員がマンホールに近づくたびに、センサーに反応して点滅する仕組みらしい。
パシャ、という音は、マンホールの蓋が少し浮いていて、作業員が踏むたびに揺れて、中に溜まった水が跳ねる音だった。
近くには、発電機が唸りを上げていて、そこからコードが伸びていた。
深夜なのに、作業員が二人、マンホールの中を覗き込んでいる。
「すいませんねぇ、こんな時間に。急ぎの水道管の点検でして」
作業員の一人が、俺の怯えた顔を見て、申し訳なさそうに頭を下げた。

俺は、ドッと体の力が抜けるのを感じた。マンダラ? なんてこった。
家の中からじゃ、窓の汚れと、カーテンの隙間、それに何より、子供の無事を確認したい焦りと恐怖で、ただの点滅する光にしか見えなかったんだ。
なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ。
全身から、冷や汗が噴き出す。
俺は、その場にへたり込んだ。
子供の無事を確認したい。その一心で、俺は自分を追い込みすぎていた。
こんなことで怯えてる場合じゃねぇ。早く、あの子に顔を見せてやらねぇと。
腰の痛みをこらえながら、俺はゆっくりと立ち上がり、再びボロ家へと足を向けた。
今度こそ、ちゃんと、子供の顔を見て、安心させてやろう。
そして、自分も、安心しよう。