深夜のサーバ室、鼓動する異物

深夜のサーバー室は、いつも独特の匂いがする。埃と熱と、金属が酸化していくような、どこか生臭い匂い。そして、永遠に続くファンの唸り声。今日はその唸り声が、やけに耳障りに感じられた。私の指先は冷え切っていて、キーボードを打つたびにカタカタと震える。もう何度目だろう、この時間帯にWi-Fiが不安定になるのは。画面の左上に表示された扇形のアイコンが、今にも途切れそうに頼りなく点滅している。

「頼むから、切れないでくれ……」

思わず声に出して呟いた。喉が渇いて、粘つく唾を飲み込む。このまま回線が切れたら、私の人生も終わる気がする。このプロジェクトの締め切りは明日の朝。こんな夜中にWi-Fiが切れるなんて、悪夢だ。冷や汗が掌を滑り、スマホの画面をタップするたびにひどく滑稽な音を立てる。震える指で、もう一度リロードボタンを押す。どうか、どうか繋がっていてくれ。

その時だった。

重く、鈍い「ドンドン」という音が、床下から響いてくるように感じた。最初は微かだったそれが、まるで心臓の鼓動のように、次第に強く、そして速くなっていく。
私は息を詰めた。こんな時間に、誰が?まさか、誰かがサーバー室に侵入して、直接ルーターに手を入れているのか?背筋に冷たいものが走った。Wi-Fiの接続状況を示すアイコンは、さらに頼りなく点滅している。ドンドン、ドンドン。音は不規則で、しかし確実に、私の鼓膜を叩き続ける。まるで、誰かが分厚い壁の向こうで何かを叩いているような、不穏なリズム。

「まさか……」

このまま回線が切れてしまったら、私はどうなる?このWi-Fiが、私の命綱なのに。その恐怖で、手がさらに激しく震え出した。指先が、自分の意思とは関係なく小刻みに揺れる。心臓がドクドクと不規則に脈打ち、その振動が指先まで伝わってくるようだ。もう、こんな状態じゃまともに仕事もできない。

ドンドン、ドンドン、ドンドンドン!

音はさらに激しさを増し、不規則な振動が足元から伝わってきた。サーバーラックの金属が微かに震えるのがわかる。耳の奥で、その不快な音がこだまする。もうダメだ、これはただ事じゃない。誰かが、確実に、このサーバー室のどこかで何かを破壊しようとしている。そして、そのせいで私のWi-Fiが……!

震える手で、私はポケットから携帯電話を取り出した。画面をタップする指が滑って、なかなか非常ベルのアプリが見つけられない。焦りと恐怖で視界が歪む。Wi-Fiが切れる恐怖で、まともにボタンが押せない。やっとのことでアイコンをタップし、確認画面も読まずに「はい」を押した。高らかな非常ベルの音が、サーバー室に響き渡る。その音と同時に、私の鼓膜を叩いていた「ドンドン」という不快な音も、さらに大きくなった気がした。

数分後、けたたましい足音と共に、二人の警備員が駆け込んできた。
「非常ベルが作動しましたので、緊急で参りました!」
息を切らした警備員の一人が叫ぶ。彼らの懐中電灯の光が、薄暗いサーバー室を無秩序に照らす。その光が、無造作に積み上げられた配線の山、その奥の、薄暗い影になった一角を捉えた。

「ああ、これですね」
もう一人の警備員が、呆れたような声で言った。
彼が指さす先には、埃をかぶった小さな機械が、懸命にファンを回し、その振動を床に伝えていた。それは、サーバーラックの隅っこ、ちょうど死角になる位置に、当たり前のように鎮座していた。正規の電源コードがきちんと差し込まれているのが見えた。
「Wi-Fiルーターのファンが、ちょっと接触不良で異音を立ててるみたいですな。古いモデルなんで、たまにあるんですよ」

……Wi-Fiルーター?
私は、全身から力が抜けて、その場にへたり込んだ。確かに、このサーバー室には、社内Wi-Fiの接続を安定させるためのルーターが置いてあったはずだ。だが、日頃からサーバーラックの陰に隠れていて、ほとんど意識したことがなかった。
あの「ドンドン」という不快な音は、全部、この古いルーターのファンの異音だったのか。私のWi-Fiが不安定だったのも、こいつのせいだったのか。

全身から冷や汗が噴き出す。恥ずかしさで顔が熱い。けれど、それ以上に、私のWi-Fiが切れていなかったという安堵感が、全身を包み込んだ。
震えは、まだ少し残っている。Wi-Fiが切れる恐怖は、そう簡単には消え去らない。だが、少なくとも、この不快な音の正体が分かっただけでも、ずいぶん気が楽になった。
警備員がルーターの状態を確認し、簡単な応急処置を施してくれた。音が少しだけ静かになった気がする。

「ご迷惑をおかけしました」
頭を下げる私に、警備員は苦笑いするだけだった。
私は、もう一度スマホの画面を見る。扇形のアイコンは、まだ頼りなく点滅している。でも、今はさっきよりも、少しだけ、安定しているように見えた。
私はゆっくりと立ち上がり、震える指で、もう一度リロードボタンを押した。