
深夜、三時。俺は今、友人の妙な誘いに乗って、噂の事故物件に一人でいる。実験的なプロジェクトとか何とか言ってたけど、要は肝試しだろ、これ。部屋は薄暗くて、窓から漏れる月明かりが、埃っぽい空気の粒子をぼんやりと照らしてる。変な匂いがする。カビと、それから、何か古いものの匂い。
最悪なことに、まただ。ポタッ、ポタッ……。間が空いて、またポタッ……。不規則な水音。勘弁してくれよ、マジで。この音が俺の神経を逆撫でする。規則的ならまだいい。だけど、不規則なのがタチが悪い。いつ来るか分からない音に、耳が、脳が、張り詰めて、全身がピリピリする。ここに来る前から、ずっとこの水音に悩まされてきた。もう何ヶ月もだ。寝不足で頭がガンガンする。この物件のせいなのか、俺の耳がおかしいのか。とにかく、この音のせいで、俺の頭はもう限界だ。
薄暗い部屋の隅から、今度は「カタッ」って、軽い音がした。ビクッと体が跳ねる。心臓が喉まで飛び出してきそうだ。ポタッ、カタッ、ポタッ……。水音と、不規則な「カタッ」が混ざり合って、耳の中で増幅されていく。まるで心臓が直接、床を叩いているみてえな「ドンドン」って響きまで聞こえてくる気がした。いや、これは俺の心臓の音か? どっちなんだよ、チクショウ。背中を冷たい汗がツーッと伝う。寒いのに、熱い。
急いでポケットからスマホを取り出して、画面の明かりをつけた。薄い光が、部屋の隅々まで届かない。影が蠢いて、物が歪んで見える。どこだ、音のする場所は。水音のせいで、もう何もかもが不鮮明だ。俺の脳みそは、この不規則な音に支配されて、正常な判断ができてねえ。
「どこだよ……っ」
声が震えた。部屋中を、スマホの光を頼りに慌てて探す。足元に散らばったガラクタがガタガタと音を立てるたびに、心臓がまた跳ねる。ポタッ、カタッ、ポタッ……。その音は止まない。いや、むしろ大きくなってるみてえだ。壁に映る俺の影が、妙にデカく、歪んで見える。汗が目に入って、視界が滲む。この不規則な水音、本当に嫌だ。脳みそが剥き出しになってるみてえな不快感。耳の奥が痒い。掻きむしりてえ。
恐怖で全身の力が抜けそうになる。それでも、この音の正体を突き止めなきゃ、俺は気が狂っちまう。必死に目を凝らして、スマホの光を壁や床に這わせた。
その時、古い木製の本棚の隙間、埃を被った雑誌の山の陰に、微かな、オレンジ色の光が揺れているのが見えた。
「これは……何だ?」
驚きと、ようやく音の正体に辿り着いた安堵がごちゃ混ぜになって、変な声が出た。震える手でスマホを掲げ、光を集中させる。本棚の奥、覗き込まないと見えない死角に、小さな蝋燭が一本、立っていた。芯が短くなって、今にも消えそうだ。
風もないのに、炎がゆらゆらと揺れる。その度に、蝋が熱で溶けて、垂れては「カタッ」と軽く音を立てる。ああ、これか。この「カタッ」って音は。そして、炎が揺れるたびに、壁に伸びた影が不規則に踊る。その影の動きが、俺の過敏な耳には「カタカタ」って、不気味なリズムに聞こえていたんだ。蝋が落ちる軽い音、チリチリと燃える芯の音、そして影の視覚的な錯覚が、俺の敏感すぎる神経を刺激して、あの「カタッ」という音に聞こえていた。
ただの蝋燭。誰かが置いていったんだろう。この事故物件で、何があったかは知らねえけど。
俺の耳に響いていた「ドンドン」って音は、あの蝋燭の音とは別物だ。多分、心臓の鼓動と、この物件のどこかで本当に微かに滴っている水音、そして俺の過敏すぎる神経が作り出した幻聴だったんだろう。
はは、マジかよ。こんな小さな音に、俺の神経は完全にやられてたってわけだ。水音のせいで、幽霊にでも取り憑かれたのかと思ったぜ。疲れてるなあ、俺。
スマホを消して、まだ燃えている蝋燭の火をじっと見つめる。水音への過敏反応は治まらねえけど、とりあえず、今夜の恐怖はこれで終わりだ。友人に話したら、きっと笑われるんだろうな。まあいい。とにかく、この生理的な不快感から解放されるなら、何でもいい。フラフラする足で、俺は友人の元へ向かうため、重い体を起こした。まだ、どこかでポタッ、ポタッ、と聞こえている気がするが、もうどうでもいい。今はただ、この場所から出たい。それだけだ。