
もう、どれくらいこの遺影を見つめているんだろう。目の奥が、ギチギチと音を立てて軋んでいるような気がする。瞼は石膏みたいに重くて、瞬きするたびに砂利でも擦っているかのようだ。頭はもう、泥水に浸かったスポンジみたいに重く、思考のすべてが澱んで沈んでいく。友人が死んで、数日。眠れた時間は、多分、指で数えられるほどもない。俺は今、ドン・キホーテの閉店後の売り場にいる。友人がここで働いていたから、遺品整理を手伝うことになったんだ。まさか、深夜まで居残ることになるとは思わなかったけど。
遺品の中にあった、こいつの遺影。抱え込んで座り込んだら、もう、動けなくなった。悲しみと、途方もない疲労が、俺の体を地面に縫い付けている。店内の照明はほとんど落ちていて、緊急用の薄暗い光だけが、陳列された商品の影を不気味に長く伸ばしている。視界はぼやけていて、焦点が合わない。目の前にあるはずの遺影の顔も、今はただの黒いシミとしか認識できない。
コツ……。
不意に、どこからか、軽い音が聞こえた。
コツ……、コツ……。
小さく、しかし耳の奥にまとわりつくような、不規則な音。なんだ? 俺は思わず、持っていた遺影を抱きしめる腕に力を込める。体が鉛のように重い。こんな時間だ、誰もいるはずがない。警備員はさっき、巡回していったばかりだ。
コツ……、コツ……。
まただ。遠くから、誰かが何かを叩いているような音。まさか、誰かが閉店後の店内に忍び込んでいるのか? ドンキホーテの、この広大なフロアのどこかに、俺以外の人間が? 考えるだけで、頭の芯がジンジンと痛む。疲労で神経が過敏になっているのか、それとも恐怖か。胃のあたりがムカムカする。吐きそうだ。頼むから、もう寝かせてくれ。この、絶望的な疲労から、俺を解放してくれ。
コツ……、コツ……、コツ……。
音が、少しだけ大きくなったような気がする。それとも、俺の神経が擦り切れて、幻聴が鮮明になっただけなのか。冷や汗が、背中をぞろぞろと這い上がる。心臓が、ドクン、ドクンと耳元でうるさい。遺影を見つめていたはずなのに、もう友人の顔すら思い出せない。ただただ、この得体の知れない音に神経が集中している。目を凝らすが、暗闇の中で商品の山が、無数の怪物のように蠢いているようにしか見えない。
「誰か……いるのか?」
絞り出すような声が、虚しく闇に吸い込まれていく。返事はない。当然だ。誰もいない。でも、音は鳴り止まない。むしろ、だんだんと近づいてきているように感じた。コツ、コツ、と、まるで誰かが爪先で床を軽く叩きながら、俺の方へ向かってきているような……。俺の、絶望的な疲労が、さらに拍車をかける。もう、このままここで倒れてしまいたい。全てを忘れて、ただ、眠りたい。
コツ……、コツ……、コツ……。
すぐそこだ。もう、すぐ近くから聞こえる。心臓が、喉までせり上がってくる。息が詰まる。ガタガタと震える手で、俺は恐る恐る、音のする方向へ、いや、音源そのものに目を向けた。視界は未だにぼやけていて、何もかもが曖昧な輪郭でしか捉えられない。しかし、その音は、確かに、俺の、この腕の中から聞こえていた。
俺は、友人の遺影を、抱え込むように持っていた。その遺影を包む黒い布地の端が、時折、フレームの角に触れては、カツン、と、ごく小さな音を立てていたのだ。俺がわずかに身じろぎするたび、震えるたびに、その布地が揺れ、フレームに触れる。
コツ……。
また鳴った。俺の、腕の中で。
呆然と、その音源を見つめる。それが、遠くから聞こえる誰かの足音のように感じられたなんて、馬鹿げている。疲労と恐怖で、完全に判断力を失っていた。
「はは……っ」
喉の奥から、乾いた笑いが漏れた。途端に、全身の力が抜けて、遺影が膝の上にずり落ちそうになる。なんだこれ。本当に、どうしようもない。こんな些細な音で、こんなにも怯えて、こんなにも追い詰められて。
友人の遺影が、なぜこんな深夜のドン・キホーテにあるのかって? そりゃあ、遺品整理の最中に見つけて、あまりに悲しくて、疲れて……。気がついたら、そのままここに座り込んで、閉店時間も過ぎてしまったんだ。もう、どうでもいい。この遺影を抱えて、俺はここで、ただただ、眠りたい。
「これだけ疲れていると、本当に些細なことに過剰反応してしまうね……」
自嘲気味に呟いたその声も、もう、ひどく掠れて、自分でも何を言っているのか、よくわからなかった。瞼の裏が、真っ赤に焼けるように痛い。このまま、意識が途切れてしまえばいいのに。いっそ、このまま、友人の遺影と共に、闇に溶けてしまえたら、どんなに楽だろうか。だが、体はまだ、しつこく生きようとして、絶望的な疲労の中で、脈を打ち続けている。