
くそ、マジか。スマホの画面が示す時刻はもうすぐ1時。地下駐車場のコンクリートの壁が、妙に生々しい匂いを放ってる。排気ガスの残り香と、なんか、湿っぽい埃みたいな。蛍光灯がチカチカ瞬くたびに、自分の影がびよんびよん伸び縮みして、それだけで胃の奥がゾワゾワする。ああ、マジで終わった。終電、逃したんだ。これ、完全に「終電逃して誰も助け来ない恐れ」じゃん。ていうか、もう助けもクソもない。タクシーなんて乗れるわけないし、親に電話したら絶対怒鳴られる。朝までどうすんの、私。
足音が、やけに響く。ヒールじゃなくてスニーカーなのに、コツコツって。誰もいない。誰もいないってのが、こんなに嫌な空気だなんて思わなかった。昼間は車のエンジン音とか、人の声とか、ガヤガヤしてて全然気にならなかったのに。今は、自分の呼吸の音すら耳障りだ。早くここを抜け出して、自分の部屋のベッドに飛び込みたい。でも、出口までまだちょっとある。なんか、変な汗が背中を伝う。べたつく。
その時だった。耳元で、いきなり「チャイーン」って。心臓が、ドクン!って一瞬止まったかと思った。そのまま喉の奥で変な音が出そうになって、慌てて飲み込んだ。何?何今の音?反射的に、音のした方、出口近くのインターホンに目をやる。そこには、何も、誰もいない。ただの壁と、インターホン。なんで鳴ったの?故障?まさか。まさか幽霊とか?いやいや、そんなことあるわけない。でも、鳥肌が腕にブワッと立った。腕をさすっても、ザワザワ感が消えない。
まただ。「チャイーン」。やめてよもう。本当にやめて。誰かいるの?いないの?目を凝らしても、暗闇の奥は、ただの暗闇。でも、今度は、インターホンの音に重なるように、遠くから、微かに、人の声が聞こえた気がした。気のせい?いや、気のせいじゃない。なんか、唸るような、悲鳴みたいな声。
全身の筋肉が硬直した。息が浅くなる。冷や汗が、額からこめかみ、耳の裏へと流れる感覚が生々しい。変な声、だんだん大きくなってる気がする。「終電…無かったぁ…」って、聞こえた、ような。いや、空耳?でも、悲鳴みたいに聞こえる。何なの?私、今、完全にパニック状態だ。手足がジンジン痺れてきた。やばい、本当にやばい。この地下駐車場で、もし変なものに襲われたら、どうするの?誰も助けに来ないじゃん。だって「終電逃して誰も助け来ない恐れ」真っ只中なんだもん。誰に助けを求めるの?親も寝てるだろうし、友達もそう。ここ、電波も入りにくいし、万が一の時、誰も気付かない。
どうにかしなきゃ、と、インターホンに手を伸ばした。誰かに繋がるかもしれない。管理室?いや、もうこの時間じゃ誰もいないか。とりあえず、押せば何かが変わる、みたいな、藁にもすがる思いで指先を伸ばしたその時、私の指が触れるより早く、またしても「チャイーン!」って、耳元で鳴り響いた。もう、脳みそが揺れる。思考がぐちゃぐちゃになる。声は、さらに大きく、切羽詰まった感じになっていく。「終電…無かったぁあああ!」本当に誰かが叫んでる?いや、地下駐車場で?こんな時間に?
もうダメだ。限界。心臓がバクバク言い過ぎて、喉から飛び出しそう。吐き気がする。膝が震えて、今にも崩れ落ちそうだ。このまま、ここで、私はどうなるの?助けは来ない。だって、今は「終電逃して誰も助け来ない恐れ」の真っ最中なんだから。
その時、地下駐車場の出口から、ドタドタドタ!って、すごい勢いで男の人が飛び出してきた。え?誰?まさか、あの声の主?その男の人は、私の横を通り過ぎながら、インターホンの方をぼんやり見て「あぁ、このインターホン鳴ってるんだ…」って、独り言みたいに呟いた。そして、そのまま、慌てた様子で去っていった。
……え?
頭の芯が、ジンジンする。脱力感で、全身から力が抜けていく。さっきまでの、心臓がバクバクしてたのが嘘みたいに、今はもう、ぐったりしてる。インターホンが鳴ってたのは、あの人が、路上で叫んでた声が、たまたまインターホンに当たって、鳴ってたってこと?
はは。嘘でしょ。私がこんなに、こんなに震えて、脂汗かいて、マジで吐きそうになってたのは、ただの「終電逃して助け来ない」人が、自分の境遇を嘆いていただけ、ってこと?自分の間抜けさに、思わず口元が緩む。笑い声が出そうになって、慌てて噛み殺した。
ああ、なんだ。結局、私の「終電逃して誰も助け来ない恐れ」は、私だけじゃなかったんだ。いや、むしろ、私じゃなくてよかった、のか?なんだかもう、よく分からない。膝の震えは止まったけど、頭の中はぐちゃぐちゃ。とにかく、もう疲れた。早く、湿っぽい地下駐車場から出て、家路を急ごう。もう何も考えられない。ただ、早く、ベッドに倒れ込みたい。