
キィィィィィン、という高周波が、私の頭蓋骨の中で延々と鳴り響いている。まるで耳の奥に閉じ込められた蝉が、狂ったように羽音を上げているみたいだ。深夜のコイン洗車場。この静けさが、余計に耳鳴りを際立たせる。勘弁してほしい。一日中鳴りっぱなしなのに、夜になるとさらに存在感を増す。本当に気が狂いそうだ。
借りっぱなしで汚れたままのレンタカーを、ようやく洗いに来れたのがこんな時間だ。自宅の近所は、夜遅くまで開いてる洗車場なんて洒落たものはなくて、結局、少し離れた郊外まで足を延ばす羽目になった。疲れた身体を引きずって、こんな人気のない場所に。月明かりは薄っぺらで、洗車場の蛍光灯だけが虚しく地面を照らしている。風が吹くたび、どこからか古びたトタンが軋むような音がした。あるいは、それも耳鳴りが作り出す幻聴かもしれない。
高圧洗浄のレバーを握ると、ゴォォォォ、という水流の音が、一時的に耳鳴りをかき消してくれる。ああ、これだけは助かる。けど、それも一瞬。すぐにあのキィィィィィンが戻ってきて、水流の音に重なってくる。もう嫌だ。
集中して車の汚れを落としていると、視界の端で、ふと、薄い影が横切った気がした。
え?
首を振ってそちらを見たけれど、何もいない。暗闇が広がっているだけだ。やっぱり疲れているんだ。この耳鳴りのせいで、集中力が散漫になって、変なものが見えるのかもしれない。そう自分に言い聞かせながら、また洗車を再開する。でも、一度気になると、もうダメだ。背中のあたりがゾワゾワする。
キィィィィィン、キィィィィィン。頭の中で蝉が暴れ回る。心臓が妙に早く脈打つのを感じた。その振動が、耳鳴りの高周波と共鳴するような不快感。
まただ。今度は、もっと近く。洗車場の隅、隣のコインランドリーとの境目あたりに、ぼんやりとだが、人影のようなものが立っているのが見えた。身長は私と同じくらいか、もう少し大きいかもしれない。黒っぽい、何かの塊。風で揺れているようにも見える。
「誰か、いるの…?」
声に出そうとしたけれど、喉が張り付いて、うまく音にならなかった。恐怖で手足が震えだす。高圧洗浄のホースを握る手が滑りそうになる。心臓がドクドクと、まるで自分の意志とは関係なく暴れ出す。その激しい脈動が、耳鳴りをさらに大きく感じさせた。他の音なんて、もう何も聞こえない。周囲の静寂が、まるで自分だけが取り残された世界のようで、息苦しい。あの影が、ゆっくりと、こちらに近づいてきているような気がした。いや、気のせいじゃない。確かに動いている。
もう無理。洗車なんかどうでもいい。早くここから逃げたい。
やっとのことで洗車を終え、ホースを元の場所に戻した。急いで車に乗り込もうと、震える足で歩き出す。その途中、もう一度、件の影の方を凝視した。薄い月明かりと、洗車場の頼りない灯りの下。
そこにあったのは、人ではなかった。
隣の24時間営業のコインランドリーの利用者が、乾燥が終わって一時的に外に置いていたのだろう。黒いブラウスが何枚か、それに靴下や下着が、無造作に積み重ねられたまま、薄いビニール袋から少しはみ出して散らばっている。風が吹くたびに、その黒い布地がふわりと舞い上がり、隣に立てかけられた洗濯カゴの影と重なって、まるで人間の輪郭のように見えていたのだ。
なんだ、これ。
一気に全身から力が抜けた。恐怖で硬直していた身体が、急に重たく感じる。馬鹿みたい。こんなものに、私、怯えてたのか。
安堵したのも束の間、すぐに苛立ちが湧き上がってきた。この耳鳴りのせいで、集中力も判断力も鈍ってる。ただでさえ疲れてるのに、余計な体力まで使わされた。
キィィィィィン。
耳の奥の蝉は、まだ狂ったように鳴き続けている。いつになったら、静かになるんだろう。この静寂に、私の耳は永遠に馴染めないのかもしれない。
早く家に帰って、ベッドに沈んでしまいたい。でも、あの蝉は、きっとベッドの中でも私を休ませてはくれないんだろうな。最悪だ。