
最悪だ。本当に最悪。閉店後のドン・キホーテなんて、誰が想像した? 忘れ物を取りに戻ったはいいけど、まさかこんなことになるとは。店員のお兄さんが「緊急点検でちょうど来てたんで、どうぞ」って通路の奥に消えていったきり、もう10分以上経つ。店内は閉店したとはいえ、完全に真っ暗じゃない。一部の照明はついたままで、それが余計に薄気味悪い影をあちこちに落としている。
私の背中をぞわぞわと這い上がるこの感覚。赤い靴。あの、夢に出てくる、カツカツとアスファルトを叩く赤いヒール。あれが、今、この店のどこかにいる。私を追いかけてくる。足の裏がじんじんする。もう無理、歩きたくない。でも、立ち止まったら、奴が来る。そう思うと、動かずにはいられない。
薄暗い化粧品コーナーの通路を抜けた瞬間、鼻を突く異臭。なんだこれ、生ゴミ? いや、もっとねっとりとして、甘ったるいような、腐敗臭。胃の奥がぞわりと波打つ。うっ、吐きそう。こんな臭い、ドンキの閉店後に嗅ぐもんじゃない。一体どこから。
まさか、あの赤い靴が、この臭いの元凶なんじゃ? いやだ、そんなこと考えるのも嫌だ。でも、あの靴はいつも私を追いかけながら、こんな嫌なものを置いていくんだ。私の息が浅くなる。鼓動がドンドン、耳の奥でうるさい。
臭いは、こっちだ。日用雑貨の棚の奥から漂ってくる。一歩、また一歩。足が鉛みたいに重いのに、なぜか臭いを追ってしまう。行きたくない、怖い。でも、突き止めないと、この恐怖から逃れられない気がする。それに、あの赤い靴が、この臭いの向こうで、私を待っている。きっとそうだ。
棚と棚の間を縫うように進む。なんだか、妙に視界が歪む。薄暗い通路の先に、フワッと浮かび上がるような赤い影。見たくないのに見てしまう。赤い靴。やっぱり、いる。もうだめだ。体が凍り付く。逃げなきゃ、逃げなきゃいけないのに、足がすくんで動かない。
臭いがさらに強くなる。もう吐きそうだ。喉の奥がヒリヒリする。どこだ、どこなんだ。あの赤い靴は、どこに隠れてるんだ。いや、隠れてるんじゃない、私を誘い込んでるんだ。きっと、そう。ああ、もう、足の裏が熱い。靴擦れしそう。こんな時まで赤い靴に悩まされるなんて。
通路の隅、陳列棚の足元に、何か黒い塊が見えた。その手前に、確かに赤い、ギラついた光沢。赤い靴だ。震える手で、その黒い塊の周りに積み上げられた段ボールをどける。視界が開けた。
そこにあったのは、小さな、業務用っぽい冷蔵庫。それが、唸るような低い振動音を立てている。耳を澄ますと、時々「チッ…」というかすかなスパーク音まで混じっている気がする。壊れてる。そして、その冷蔵庫のドアが、半開きになっていた。誰かが閉め忘れたんだろうか。
恐る恐る、覗き込む。うわ、最悪。冷蔵庫の中には、黒ずんだビニール袋がいくつも転がっている。そこから、強烈な腐敗臭がぶわっと噴き出した。鼻腔の奥が焼けるようだ。呼吸が止まる。何かの野菜だろうか。ドロドロに溶けて、液状化したものが底に溜まっている。
そして、その冷蔵庫のすぐ脇、陳列棚の陰に、ポツンと置かれていたもの。それは、試着用の赤いパンプスだった。値札がぶら下がったまま、床に転がっている。
それを見た瞬間、私の全身から一気に力が抜けた。ガクンと膝が折れそうになる。赤い靴。あれはただの試着用の靴だった。臭いも、あの冷蔵庫からだったんだ。
何だ、なんだよ。こんな、こんなしょーもない勘違いで、私はこんなにも、こんなにも怯えてたのか。
安堵と脱力感で、その場でへたり込んだ。胃のむかつきはまだ残ってるけど、もう吐き気は不思議と薄れている。いや、それよりも、この腐敗臭。早くここから出たい。本当に、もう、疲れた。赤い靴なんか、もう見たくない。夢に出てくるな、本当に。