
くそ、終電逃した。最悪だ。ホームには俺一人。蛍光灯が半分以上切れてるのか、やけに薄暗い。この時間、駅員だってあんまりいないだろう。家に帰りたいのに、足が重い。いや、足が重いのはたぶん、あの写真のせいだ。
数日前、押し入れの奥から引っ張り出した古いアルバム。家族旅行の時の写真が、ごちゃごちゃに放り込まれてた。整理しようと何枚か手に取った時、ゾッとしたんだ。一枚の写真。俺たちが海辺で笑ってる。親父も、母さんも、妹も、みんな楽しそうにピースしてる。なのに、その中に一人だけ、顔が見えない奴がいた。
誰だ、これ。
被ってた麦わら帽子が深すぎて、顔が完全に影になってる。いや、影ってレベルじゃない。完全に真っ黒。輪郭だけがぼんやりわかるけど、そこに目も鼻も口も、何も描かれてない。まるで、顔だけくり抜かれたみたいに。しかも、その麦わら帽子、家族の誰のものでもなかったはずだ。なんで俺たちと一緒に写ってるんだ?なんで誰も気づかなかったんだ、こんな不気味な写真。
その日から、ずっと頭から離れない。夕飯中も、風呂に入ってる時も、ベッドに潜り込んでも、あの真っ黒な顔が目の奥にこびりついてる。飯も喉を通らないし、寝ても変な夢ばかり見る。胃がキリキリ痛むのは、たぶんそのせいだ。
足元がおぼつかないまま、俺はホームのベンチまでたどり着いた。ふと、見上げた天井。薄汚れたコンクリートに、いくつものシミが広がっている。ああ、まただ。あのシミの一つが、ちょうどあの写真の麦わら帽子の影と同じ形に見える。歪んだ縁取りと、真ん中のぽっかり空いた空間。なんでよりによって、こんなところで。
はぁ、もう本当に勘弁してほしい。なんで俺だけ、こんなものに気づいちまったんだ。別に、俺がわざわざアルバムを整理しようとしなければ、ずっと気づかずに済んだことなのに。家族は誰も、あの写真について何も言わない。記憶にないのか?それとも、見て見ぬふりをしてるのか?どっちにしろ、俺だけがこの気持ち悪いモヤモヤを抱え込んでいる。胃の奥から込み上げてくる酸っぱいものが、食道を逆流してくる感覚に吐き気がする。
目を凝らしても、やっぱりシミはシミだ。ただの汚れた水滴の跡。でも、一度そう見えてしまうと、もうそうとしか思えない。頭の中で、あの顔のない影がニヤリと笑ったような気がした。錯覚だ。わかってる。わかってるけど、心臓がドクドクうるさい。もうやだ、家に帰りたい。でも、帰ったところで、あの写真がまた俺を待ってるんだろう?
ホームの奥の方、清掃用具が積み上げられた一角が、やけに暗い。その積み荷の裏側から、チカチカと不自然な光が漏れているのが見えた。なんだ?不審な光に、俺の足は吸い寄せられるようにそちらへ向かう。
清掃用のバケツやらモップやらが乱雑に置かれていて、その隙間を覗き込むと、埃まみれの床に何か落ちている。光は、そこから反射しているようだ。
かがんで、そっと手を伸ばす。
「これ……!」
拾い上げたのは、見覚えのある、あの家族アルバムだった。まさか、こんなところに。どうして?
思わずアルバムを開く。ぺらりとめくったページには、まぎれもなく、あの海辺の写真が挟まっていた。やっぱりだ。麦わら帽子の影は、ここでも真っ黒に、顔を覆い隠している。
ああ、そうか。昨日、駅の掲示板が新しくなってたっけ。たぶん、その時に、古いポスターとかと一緒に、このアルバムも間違って捨てられちゃったんだろう。それが、清掃用具の棚の隙間に挟まって、見落とされたまま放置されていたんだ。
蛍光灯の光がアルバムの表面に反射して、それが俺の目に届いていたってだけのこと。そして、天井のシミは、本当にただのシミ。アルバムの影がそう見えたなんて、馬鹿らしい。
俺は一気に力が抜けて、その場にへたり込んだ。
なんだったんだ、この数日間のモヤモヤは。結局、ただの偶然と、俺の思い込み。
でも、アルバムはここにあった。ってことは、家にはまだ、あの写真があるってことだ。
はぁ。結局、あの顔のない影の正体は、まだ何もわかっちゃいない。安堵したのも束の間、胃の痛みはまたぶり返し始めた。俺の不快感は、まだ終わらない。まったく、最悪だ。早く家に帰って、あの写真に決着をつけなきゃいけないのか。それとも、見なかったことにするべきなのか。
終電後の人気のないホームで、俺はまた、重い溜息をついた。