誰もいない深夜ホーム、インターホンが呼ぶ

深夜のホームで聞こえる夜中のインターホン

くそ、心臓が喉まで飛び出してきそうだ。ドクン、ドクン、と耳の奥で、いや、頭の中で響いてる。なんで俺はこんな時間に、こんな場所にいるんだ? 終電はもう行った。誰もいない。真っ暗なホームに、俺一人。風が妙に生臭いような、鉄と埃の匂いを運んでくる。遠くで車の音が聞こえるけど、それすらも俺を置いてけぼりにした街の嘲笑に聞こえる。

孤独恐怖症って医者に言われたけど、そんなの生ぬるい言葉じゃねえ。これはもう、体が拒否してるんだ。胸がギューッと締め付けられて、息がうまく吸えない。手足の先が冷たくなって、じんわりと汗が背中を伝う。このままここにいたら、誰にも気づかれずに消滅しちまうんじゃないかって。足元がグラグラする。頭の中が真っ白で、でも不安だけは真っ黒な塊になってそこに居座ってる。

ドクン、ドクン、ドクン……。やめてくれ、頼むから。

その時だ。微かな、本当に微かな音が耳の奥に引っかかった。キン……とか、ピィッ……とか、そんな感じの、電子音みたいなやつ。最初は気のせいだと思った。俺の耳鳴りか、それともこの心臓の音のせいか。でも、違う。それは確かに、遠くから聞こえてくる。

なんだ、あの音。

キン……ピィッ……。

まるで、夜中に鳴るインターホンみたいだ。ピンポーン、じゃなくて、もっと短くて、神経質な、機械的な音。
期待、なのか? 誰か来るのか? 駅員さんか、それとも誰か忘れ物を取りに戻ってきたとか? 頭の隅でそんな希望がちらつく。でもすぐに打ち消される。来るわけねえだろ。誰も。こんな時間に。来るはずがない。俺は、ここに一人ぼっちで取り残されてるんだ。どうせまた、俺だけが見た、俺だけの妄想なんだ。

ドクン、ドクン、ドクン、ドクン……。心臓がうるさい。腹の底が冷えて、吐きそうだ。

音は一瞬止まった。よし、気のせいだったんだ。そう思った次の瞬間、また聞こえてきた。

キン……ピィッ……。

今度は、さっきよりも少しだけ、はっきり聞こえる気がする。それは、インターホン。間違いない。深夜の、誰もいないはずの場所で鳴り響く、誰かを呼ぶ音。

「誰か、助けてくれってのか?」

思わず声に出た。喉がカラカラに乾いている。駅員さんが何かあったのか? それとも、俺と同じように、どこかで誰かが困ってるのか? 足元から視界がどんどん狭まっていく。ホームの端っこが、やけに遠く感じる。怖い。怖いけど、この音の正体を知らないままでいる方が、もっと怖い。このままここにいたら、心臓が爆発して死ぬんじゃないか。

ドクン、ドクン、ドクン、ドクン、ドクン!もうやめてくれ、本当に。

俺は半ば錯乱状態で、その音のする方へ、フラフラと歩き出した。足が震えて、まともに前に進まない。でも、俺は行くしかない。この恐怖から解放されるためには、何が起こっているのか、知るしかないんだ。

ホームの端っこに、何かが見える。暗闇の中に、うっすらと。それは、地面に置かれた、少し汚れた段ボール箱の横に、ポツンと立っていた。

市松人形だ。

なんでこんなところに、と思う間もなく、俺はその人形に駆け寄った。心臓が、耳元で暴れ狂ってる。ドクン、ドクン、ドクン!
人形のすぐ横に、小さな機械が置いてあった。工事用の、なんだかよく分からない、四角い箱だ。その箱から、ごく微かに「ブーン……、キン……」という、ファンの異音のような、電源ノイズのような音が漏れている。どうやら工事用の仮設電源に繋がっているらしいコードが、地面を這っていた。

そして、その市松人形だ。暗闇の中で、人形の大きく開かれた目が、遠くの街灯の光を反射して、まるで青いLEDライトみたいに光っていた。薄汚れた顔に、妙にリアルな目が、そこに座っている俺をじっと見つめているように見えた。

俺は、一瞬呆然とした。インターホンだと、誰かが助けを求めているんだと、本気で思っていた。この、人形の横に置かれた機械の、耳障りなノイズを、夜中のインターホンだと。そして、人形の目が、青いインターホンの光だと。

はは、と喉の奥から乾いた笑いが漏れた。ドクン、ドクン、ドクン、とまだ心臓はうるさいけれど、さっきまでの恐怖とは違う、脱力感と、ちょっとしたバカバカしさが混じった感情だ。なんだ、こんなもんか。

工事の目印にして、そのまま忘れていったのか? 駅員さん、ふざけんなよ。俺の心臓、止まるかと思ったんだぞ。

もう一度、はは、と笑った。今度は、少しだけ声が出た。体が震えるのは、恐怖からじゃなくて、安堵からだ。やっと息が吸えるような気がした。

俺は、まだ誰もいないホームで、その市松人形と、工事用の機械を前にして、しばらく立ち尽くしていた。このまま夜が明けるまで、ここにいようか。そうしたら、もう誰もいないホームで、俺が一人で笑っていた、なんて変な奴には見られないだろう。

ドクン、ドクン……。まだ、ちょっとだけ、心臓は早かった。