真夜中、田んぼで固まった私を襲う音

ああ、もうダメだ。今日は本当に疲れた。朝から晩まで部長の顔色を窺って、溜まった書類を片付けて、神経がすり減るってこういうことなんだろうな。ヘトヘトで、一刻も早く家に帰って、温かい風呂に浸かりたい。それなのに、こんな深夜の田んぼあぜ道で、私はまた全身の筋肉を硬直させて立ち尽くしている。

ドクン、ドクン、と心臓がやけにうるさい。その音に、今度は耳の奥から、低く重い音が響いてくる。ゴォン……ゴォン……。最初はただの風の音かと思った。この辺りは夜になると風が強いから。でも、違う。それは規則的で、まるで何か大きなものが、ゆっくりと、しかし確実に動き出しているような音だった。地面の底から這い上がってくるような、不気味な振動が足の裏から伝わってきて、ますます全身の筋肉が硬直する。首筋がもうガッチガチだ。肩も凝りすぎて、石みたいになってる。このままだと、本当に身動きが取れなくなる。

ゴォン、ゴォン……。まただ。一定のリズムで、湿った空気を震わせる。耳障りな重低音が、まるで直接胃のあたりを掴んでくるみたいで、気持ちが悪い。吐きそうだ。何なんだ、一体。この時間に、こんな田んぼのど真ん中で、こんな音を出す機械なんてあるわけない。まさか、何かの工事? でも、それにしては静かすぎるし、この音は、もっと……もっと生命感がない、無機質な響きだ。まるで、壊れる寸前の古い発電機か何か。錆びた鉄が軋むような、嫌な予感がする音。全身の筋肉が硬直して、足が震える。このままじゃ、本当にどうにかなっちゃう。

ゴォン、ガガガ……ゴォン、ガガガ……。だんだん音が大きくなってる気がする。いや、幻聴か? 疲労困憊で、私の脳みそがバグを起こしてるのかもしれない。でも、明らかに、不快な音が近づいてくる。このままここにいたら、何かとんでもないものに遭遇してしまうんじゃないか。そう思うのに、全身の筋肉が硬直して、一歩も動けない。呼吸が浅くなって、肺がうまく膨らまない。苦しい。

その時だ。視界の端で、チカッと、小さな光が点滅した。暗闇に慣れた目で、そちらを凝視する。はっきりと見えるわけじゃない。夜闇と、田んぼの畦道の影が重なって、まるで大きな、何かの顔みたいに見える。その顔の目玉が、チカチカと不気味に瞬いているように見えた。機械の目? 故障のサイン? もう、本当に嫌だ。早くここから逃げたいのに、足が、足が動かない。硬直して、もう棒みたいだ。この恐怖から解放されたい。

「う、うわあああああ!」

情けない声が、私の口から飛び出した。叫んだことに驚き、同時に恐怖で全身が震える。ハァ、ハァ……。何なんだ、一体……。

叫んだことで、少しだけ身体が動くようになった気がした。いや、気のせいか。全身の筋肉は相変わらずガチガチだ。それでも、少しだけ勇気を出して、目を凝らして、よく見ると……あぜ道から少し入った田んぼの真ん中に、何か黒っぽい塊がポツンと置かれているのが見える。夜闇に溶け込んでて、よく見えない。あれが、音の元か?

恐る恐る、一歩、また一歩……。ああ、全身の筋肉が硬直して、進むのがこんなにも辛いなんて。足を引きずるようにして、少しずつ近づいていく。暗闇の中で、その塊の輪郭がだんだんはっきりしてくる。

……え? これ、何?

目の前にあるのは、手のひらより一回り大きい、黒い箱だった。なんだ、これ。まさか!

「Wi-Fiルーター?」

信じられない。こんな田んぼの真ん中に、なんでWi-Fiルーターが? しかも、そこから聞こえてくる音は……ガタガタ、ガガガ、というファンの異音だ。埃を吸い込んでるのか、内部で何かがぶつかってるのか、すごい振動音を立てている。そして、たまにチカッと光っていたのは、ステータスランプの点滅だったのか。

全身の力が、一気に抜けていくのがわかる。肩の力が抜けて、首筋の痛みも少し和らいだ気がする。なんだ、そんなことだったのか。

近くの電柱から、仮設の細いケーブルが引かれているのが見えた。よく見ると、ルーターの側面に、通信会社のロゴが貼ってある。そういえば、このあたり、最近電波が悪いって話題になってたっけ。新しいオフィスビルができて、そっちの電波を補強するための臨時設置、だったかな。屋上スペースがなくて、一時的に田んぼを借りて……。

ハァ……なんだ、そんなことだったのか。全身の筋肉が、一気に弛緩していくのがわかる。疲れた。本当に疲れた。こんなことで、こんなに怯えて……。

もう、笑うしかない。はは……なんだこれ。馬鹿みたい。でも、本当に怖かったんだから仕方ない。明日は、もうちょっと早く帰ろう。いや、もうこの道は避けて帰ろう。うん、それがいい。もう二度と、こんな不気味な音に全身の筋肉を硬直させたくない。