
まったく、この歳になってこんな目に遭うとはな。夜が来るのが心底、嫌で仕方がない。ここ数日、俺は夜中に聞こえるあの音のせいで、まともに眠れていない。ドクン、ドクンと心臓が波打つたび、全身がびくつく。そう、俺は「深夜のチャイムに過敏なストレス反応」ってやつに苛まれているんだ。医者に言ったところで、きっと笑われるだけだろうがな。
この村の家は、どれもこれも古い。俺が借りたこの家も、築何十年だか知れたもんじゃない。湿気とカビの匂いが染み付いていて、いくら換気しても奥底の不快感が取れない。昼間はまだいい。田舎特有の静けさの中に、遠くで農作業の機械音が聞こえたり、鳥の声がしたり。だが、夜になると空気が変わる。漆黒の闇が、音を吸い込んで、何もかもがシンと静まり返る。そんな中で聞こえるんだ、あの音が。
村の端っこ、俺の家から歩いてすぐのところに、苔むした古い井戸がある。もう何十年も枯れていて、水なんか出やしない。ただ、村の言い伝えだかなんだかで、定期的に供え物が置かれているらしい。色褪せた紙幣や、埃を被った鈴、朽ちかけた藁細工なんかが、井戸の縁に無造作に転がっているのを、何度か見たことがある。正直、薄気味悪い。
そして、夜半だ。まさに今、日付が変わって間もない頃だろう。
風が、ヒューッと音を立てて吹き抜けた。その直後だ。
チリン、チリン。
間延びした、金属が軽くぶつかり合うような音。それが、俺には「チャイム」に聞こえるんだ。どこかの誰かが、こんな真夜中に俺の家のチャイムを鳴らしているんじゃないかと、胃がひっくり返るような感覚に襲われる。心臓がドクン、と嫌な音を立てて跳ね上がった。手のひらに、じっとり嫌な汗が滲む。またか、またあの音か。この「深夜のチャイムに過敏なストレス反応」のせいで、もう何日まともに熟睡できていないことか。目の奥がジンジンするし、全身が鉛のように重い。
布団の中で、息を潜める。まるで悪い夢でも見ているかのように、鼓動が早まる。あの音が井戸の方から聞こえてくるのは分かっている。分かっているんだが、恐怖が思考を麻痺させる。誰かが俺を試しているのか? それとも、この村に何か良からぬものがいるのか? そんな馬鹿なことを考えている間にも、風が吹くたびに、チリン、チリンと音が響く。そのたびに、俺の心臓は無理やり鷲掴みにされたかのように脈打つ。
日中も、そのことばかり考えてしまう。井戸の近くを通るたび、嫌な汗が背中を伝う。早くあの音の正体を突き止めなければ、俺は本当に頭がおかしくなってしまう。この「深夜のチャイムに過敏なストレス反応」が、俺の生活を完全に蝕んでいるんだ。食欲もないし、コーヒーを飲んでも味がしない。集中力なんて、とっくにどこかへ消え失せた。
昨夜もそうだった。チリン、チリン。何度も、何度も。そのたびに、全身の毛が逆立つような感覚に襲われ、布団の中で丸くなり、ひたすら夜が明けるのを待った。頭痛はひどいし、肩も首もガチガチだ。もういい加減にしてくれ。
今朝、決心した。このままでは、本当に気が狂う。
井戸の周りには、朝の光が差し込んでいた。それでも、薄気味悪さは変わらない。苔むした石、湿った土の匂い。生暖かい風が、時折ヒューッと吹き抜けていく。俺は意を決して、井戸の縁に近づいた。
腐った木の蓋が、半分だけ開いたままになっている。その周りには、確かに供え物が転がっている。色褪せた紙幣が風に揺れ、隣に置かれた錆びた鈴と、擦れ合っているのが見えた。よく見ると、紙幣の端が鈴の金具にひっかかって、風が吹くたびに、カサカサ、チリン、と軽い音がする。
俺は、思わず笑い声を漏らした。
乾いた、自嘲的な笑いだった。
なんだ、こんなことだったのか。
こんな、くだらないことだったのか。
今まで俺を何日も不眠に陥れ、胃をキリキリさせ、頭痛に悩ませてきた「深夜のチャイム」の正体は、ただの風と、古びた供え物が奏でる、安っぽい金属音だった。風の向きや強さで、音が鳴ったり鳴らなかったり、音質も微妙に変わっていたんだろう。夜の闇と、俺の過敏になった神経が、それを恐ろしい「チャイム」へと変貌させていたにすぎない。
脱力感が、全身を襲う。膝から崩れ落ちそうになった。
ああ、なんてことだ。この「深夜のチャイムに過敏なストレス反応」のせいで、俺はとんだ馬鹿を演じていたわけか。
まったく、この歳になって、こんなチンケな音にここまで翻弄されるとはな。
俺の人生、まだまだ捨てたもんじゃない、ってことか。
いや、むしろ、もうそろそろ限界なのかもしれない。
そうか、限界なのか。
チリン。
また風が吹いた。
耳に届いたその音は、もう、何の恐怖も感じさせなかった。
ただ、ひどく、疲れた。