深夜ファミレス、写真が喋る

深夜2時半。ファミレスの隅っこの席で、私はだらりと背もたれに体を預けていた。店内には私以外に客はいない。もう、こんな時間まで何してるんだか。
テーブルには冷めきったコーヒーと、もう見る気も失せたスマホが置いてある。なのに、急に「Hey Siri」なんて間抜けな声が響いて、思わず肩が跳ね上がった。また勝手に起動した。ここ最近、本当に調子がおかしい。私のスマホが、じゃなくて、私自身が、かしら。

ああ、やだ。もう一度あの写真を見てしまった。
スマホのギャラリーを開いて、家族写真のフォルダをスクロールする。何枚も何枚も、幸せそうに笑ってる写真。でも、違う。絶対に違うのよ。この中の誰かが、決定的に違う。どこが、と聞かれても、うまく説明できない。顔の輪郭?目の奥の光?それとも、そこにいるはずのない、何か別のものが紛れ込んでいるような、そんな薄気味悪い感覚。まるで、切り抜き細工の顔が、無理やり貼り付けられているみたいに。その違和感が、胃の奥でじっとりとした塊になって、いつだって私を責め立てるの。

疲れてるんだ、って自分に言い聞かせる。でも、ダメ。この違和感だけは、どうしても拭えない。
最近、子供が学校の課題で「深夜の都市伝説」とかいうのをやってて、ファミレスに来るたびにアルバムを引っ張り出して見せてくるのよ。「ママ、このおじさん、誰?」なんて。その度にゾッとする。知らない顔じゃない。でも、どこか違う。違うのよ。

スマホから流れる気だるいR&Bの音量を少し上げながら、さっき起動したSiriに、ため息混じりに呟いてみた。「ねぇ、Siri。私、疲れてる?」
すると、私の声が完全に消えるか消えないかのうちに、また「Hey Siri」って。今度は、もっと近くで聞こえた気がして、ゾワッと背筋に冷たいものが走った。私のスマホはテーブルの上。じゃあ、どこから?

その瞬間、目に入ったのが、テーブルの端に立てかけてあった、あの家族アルバムだった。子供がさっきまで見てたやつ。薄暗い店内、テーブルに反射するスマホの画面の光が、アルバムの表面に揺らめいてる。
その光の中で、アルバムの中の誰かの顔が、ヌッと浮き上がって見えた気がした。いや、浮き上がったなんて、そんなまさか。でも、確かに、その顔の、口元が、ピクリと、動いたように見えたのよ。

信じられない。でも、その口元から、まるでSiriの声が漏れているみたいに、聞こえてくる。「Hey Siri」。
違う。これは、スマホのSiriが勝手に起動した音。わかってる。わかってるのに、私の目は、アルバムの、あの顔に釘付けになっていた。

あ、もう、ほんと無理。頭の奥がズキズキする。偏頭痛持ちだから、こういう変なストレスはすぐに来る。
でも、アルバムの中の顔は、私をじっと見ている。さっきから感じていた、あの「家族写真の中の誰かが違う」という違和感が、一気に形を持って目の前に迫ってくるような、そんな恐ろしさ。
本当に、動いている。唇が、震えている。
私のスマホから、またSiriの声が途切れ途切れに聞こえてくる。それが、アルバムの顔の唇の動きと、まるでシンクロしているみたいに。

「今夜のファミレスで会いましょう」

はっきり、そう聞こえた。アルバムの中の、あの顔が、私に向かって言ったんだ。
全身に鳥肌が立った。胃の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。吐きそう。
周りを見渡しても、本当に誰もいない。深夜のファミレス。私と、あのアルバムだけ。
あれは、家族写真からの声だ。そうとしか思えない。だって、あの口元が、確かに……

いや、待って。口元が動いたのは、スマホの画面の光が揺らめいたせい?いや、違う。影とシミが重なって、そう見えただけ?
ああ、もう、何がなんだか分からない。頭がぐちゃぐちゃになる。
冷や汗が背中を伝う。早くここから逃げ出したい。でも、足がすくんで動かない。

ふと、テーブルの下に視線を落とした。足元は暗くてよく見えないけれど、何か、黒い塊が奥の方に挟まっているのが見えた。
恐る恐る、体をかがめて覗き込む。ファミレスのテーブルの下なんて、普段は絶対見ない薄汚れた場所。埃と、誰かの食べこぼしと、それから……。
それから、もう一つ、アルバムが落ちていた。
ああ、もう!これ、子供のやつだ。さっきまで「都市伝説」の資料だって言って、パラパラ見てたあのアルバムじゃない!

どうやら、私がスマホで見ていたアルバムとは別に、子供がさっきまで見ていた物理的なアルバムが、テーブルの下に落ちてたらしい。しかも、ページが半分開いた状態で、ちょうどファミレスの足元灯の光が、その開いたページに当たって、薄っすらと光を放っていたんだ。
そうか。この光が、暗い足元で、何か別のものに見えたのか。
そして、私がスマホのSiriに話しかけるたびに、私のスマホのSiriが反応して声を出し、その声が、テーブルの下から聞こえるアルバムの「ページをめくる時のカサカサした摩擦音」や「カバーがテーブルに当たるときの小さなカチャッという音」と、偶然重なって聞こえていたんだ。
その音と、テーブルの下から漏れる光。そして、私が抱えていた「家族写真の中の誰かが違う」という、拭い去れない違和感。それらが全部、頭の中で結びついて、アルバムの中の人物が喋っているように見えた、ってわけか。

脱力した。一気に体の力が抜けて、ぺたんと椅子に座り込んだ。
馬鹿みたい。ほんと、馬鹿みたいだ。
でも、可笑しい。笑いがこみ上げてきた。
はは、はははは……。
疲れてるんだ。本当に、疲れてるんだ、私。
だけど、あの家族写真の中の違和感だけは、どうしても消えない。
やっぱり、違う。あの写真の中の誰かは、私じゃない。私が見たことのない、誰かなのよ。
そう、確信にも似た、嫌な感覚が、まだ私の胃の奥で、じっとりと冷たく居座っていた。