深夜ジム、俺を呼ぶ鎖の音

ああ、クソッ、もう無理だ。マジで限界。
深夜2時半過ぎ。誰もいないジムで、俺は一人、ベンチに潰れそうになってた。汗が目に入って、しみて痛い。身体中の筋肉が鉛みたいに重くて、指一本動かすのも億劫だ。疲労困憊って、こういうこと言うんだな。息をするのも苦しい。喉はカラカラだし、腹の虫が変な音を立ててる。

なんでこんな時間に、こんな場所で、俺は一人でいるんだろう。
今日中にこのノルマを達成しないと、明日からもっとキツくなる。そう思って、無理して残った。でも、残ったのは後悔だけだ。
外は月明かりが窓から差し込んで、フロアの奥の方がぼんやりと見える。ジム特有の、ゴムと汗と金属の匂いが、妙に鼻につく。誰もいない静けさが、逆に神経を逆撫でするんだ。こんな時に何かあったら、誰が俺を助けてくれる? 誰もいねぇ。マジで、誰一人として。この恐怖、知ってるか? 誰にも助けを求められないって、どんなに恐ろしいか。

その時だった。
カシャン、と、乾いた金属音がした。
一瞬、気のせいかと思った。疲れてるから、幻聴でも聞いたか、って。心臓がドクンと跳ねた。
でも、また聞こえた。カシャン、カシャン…、シャラ、という軽い擦れる音も混じってる。
音は、どうにも天井の奥の方から聞こえてくる気がした。ジムの天井って、やたら高くて、変な隙間とかダクトとかが張り巡らされてるから、音が反響するんだ。それが、まるで屋根裏で何かが動いているみたいに聞こえる。誰かが、何かを、ずるずると引きずってるような。いや、違う、もっと軽い。でも、妙に不気味な響き方だ。

「誰にも助けを求められない恐怖」ってのは、こういう時に一気に牙を剥くんだ。
もし、泥棒だったら? もし、変な奴が侵入してたら? こんな時間に、俺一人。スマホはさっきから低電力モードの警告が出てるし、充電器はもうとっくに片付けちまった。もし通報したって、警察が着くまでにどれくらいかかる? その間に俺がどうなってるかなんて、誰も知らねえ。
足の裏から冷たいものが這い上がってくるような感覚だ。汗でベタつく身体が、さらに冷や汗で濡れていく。

音の正体を確かめなきゃ、このままじゃ気が狂う。
俺は震える足で立ち上がった。筋肉が軋む。全身が痛い。
スマホの画面をタップして、無理やりライトを点けた。電池残量が一桁の表示が、俺をさらに追い詰める。
ライトの弱い光を頼りに、音のする方へと、そろそろと歩き出す。
カシャン、シャラ…。
音がする。俺が近づくと、なぜか音はさらに奥へ、奥へと遠ざかるように聞こえる。まるで、俺を誘い込んでいるみたいだ。
薄暗いフロアの隅々まで、ライトの光が届かない。筋トレマシンのごつい影が、まるで何かの化け物みたいに見える。ロッカーの列が、ずらりと並んだ不気味な墓標みたいだ。

心臓の音がうるさい。耳元で、ドクンドクンと爆音を立ててる。
吐き気がする。マジで、このままブッ倒れるんじゃないか。
「だ、誰か、いるのか…?」
声に出そうとしたけど、喉が張り付いて、ほとんど息しか出なかった。情けねえ。
俺は死ぬのか? こんなところで、誰にも知られずに、一人で。
その恐怖が、俺の思考を支配する。

一歩、また一歩。
音が聞こえる方へ、死角を覗き込むように進む。
重いパワーラックの陰。ダンベルが積み上げられたタワーの裏。清掃用具が押し込まれた物置の隙間。
どこにも、誰もいない。ただ、自分の荒い呼吸と、ドクンドクンいう心臓の音だけが響く。

その時だった。
スマホのライトの光が、ふと、ある一点に当たった。
そして、窓から差し込む月明かりが、その場所をよりはっきりと照らし出した。
そこにあったのは、畳まれた輪行袋から、半分だけ顔を出したロードバイクだった。
そして、そのチェーンが、窓から吹き込む微かな風で、カシャン、カシャン、と、揺れていた。

俺は、その場でへたり込んだ。
全身の力が、一気に抜けていく。
ああ、なんだ、そうか。自転車かよ。
ジムの隅っこ、ちょうど大きな筋トレマシンと、壁の隙間に立てかけられていたんだ。暗闇と、マシンのごつい影が重なって、完全に死角になってた。覗き込まないと見えない、本当にわずかな隙間。
前にスタッフが言ってたな、24時間使えるサイクルスタンドがあって、夜勤のスタッフが使ってる自転車を一時的に置いてるって。まさか、こんなところに置きっぱなしになってるとは。
それを、俺は、屋根裏の不審者だの、幽霊だの、散々ビビり散らしてたのか。

ハハッ、と乾いた笑いが漏れた。
情けねえ。マジで、情けねえ。
こんなことで、俺は死ぬかと思ったのか。
でも、本当に、あの時は「誰にも助けを求められない恐怖」で、頭の中が真っ白になってたんだ。
こんなド深夜に、一人きりのジムで、得体の知れない物音。
疲労困憊で、判断力は鈍って、頭の中は最悪のシナリオしか描けなかった。
結局、俺はまだ一人だ。そして、まだ誰にも助けを求められない。
疲れた。もう、本当に疲れた。身体も、心も。
俺は、自分のバカさ加減を笑いながら、ジムの床に伸びて、天井のダクトをぼんやりと見上げていた。
まだ、少しだけ、足の裏が冷たい気がした。