
こんな夜中に、こんな埃っぽい場所にいるなんて。ああ、息子は今どこで何をしているんだろう。午前中から連絡が途絶えたきり、LINEも既読にならない。電話も留守電。何かあったんじゃないかと、もう心臓がずっとバクバクしている。胃がキリキリ痛むのも、たぶんそのせいだ。頭の中が不安でいっぱいなのに、親戚に頼まれた米を精米しに来るなんて、我ながら律儀というか、馬鹿みたいというか。
深夜のコイン精米所は、しんと冷え切っていた。円形の建物の中は、精米機の鈍い機械臭と、どこかカビじみた空気が漂っている。古い精米機は、スイッチを入れると鈍重な唸り声を上げて動き出した。ガタガタと振動が床を伝い、米粒がドドド、と投入口に吸い込まれていく。その轟音の中に、いつもなら気にならないはずの、あらゆる音が混じって聞こえてくる気がした。
精米機のパネルを眺めながら、またスマホを手に取って息子の履歴を確認する。最後に送ったスタンプは、まだ未読のまま。指先が震える。
その時だった。
精米機の排気口が近い壁の、ひび割れた細い隙間から、チカチカと揺れる光が目に入った。オレンジ色で、まるで生き物のように蠢いている。精米機のモーター音に混じって、壁の向こうから「カツ、カツ…」と、不規則な硬質な音が聞こえてくる。換気扇のファンが、ガタガタと古びた音を立てているせいか?いや、違う。その音は、光の揺れと連動しているように感じた。
光が揺れるたび、壁のひび割れに映る影も、まるで細い指がうごめいているかのように、大きく伸びたり縮んだりする。息子は無事だろうか。事故にでも遭ったのか。もし、もしもこの精米所で、何か不吉なものが見えたり聞いたりしたら、それはきっと息子の身に危険が迫っている暗示なんじゃないか。そう思うと、全身の毛穴がざわめいた。
光と影の動きが、だんだん激しくなってきた。カツ、カツ、という音も、壁の向こうで何かが這いずり回っているような、不気味な響きに変わっていく。まるで、あの隙間から、何かがこちらを覗き込んでいるみたいだ。心臓がドクドクと、耳元で鳴り響く。胃の痛みはもう限界だ。吐き気が込み上げてくる。
「誰かいるの…?」
か細い声が出た。返事はない。あたりを見回すが、精米機と米袋以外に何もない。精米所の隅々まで、壁の隙間が見えるあたりを必死で探した。しかし、何も見当たらない。ただ、壁の向こうから揺れる光と、不規則な音だけが、私の心臓を締め付ける。息子…息子は大丈夫なの?お願い、連絡してきて。お母さん、もう気が変になりそうだよ。この不安な気持ちをどうすればいいの。
もうダメだ。膝の力が抜けて、その場にへたり込んだ。冷たいコンクリートの床に、額から汗が流れ落ちる。精米機の轟音だけが、やけに遠く聞こえる。
その時、ふと目線を落とした。精米機の足元、作業用の小さな机が壁際に寄せられていた。その机の奥、精米機のモーターの陰になっていた死角に、小さな光の源があるのが見えた。
使い古された、蝋燭だ。
精米機の排気口から漏れる風が、小さな炎をユラユラと揺らしている。その炎が、壁のひび割れに、まるで細い指のような影を、大きく映し出していたのだ。そして、カツ、カツという音は、精米機の振動で作業台の奥に置いてあった錆びたスパナが、微かに台にぶつかる音だった。
「…あんなもので…」
全身から、一気に力が抜けた。恐怖でこわばっていた体が、重力に逆らえずに床に沈む。自分で自分に呆れる。こんなことで、こんなに怯えて。でも、仕方ないじゃないか。息子のことが心配で、おかしくなりそうなんだから。
ふぅ、と長い息を吐いた。蝋燭の炎は、まだゆらゆらと揺れている。火傷しないように、そっと消した。
精米機は相変わらず轟音を上げて米を磨いている。あと少しで終わる。早く家に帰って、もう一度、息子に電話をしてみよう。どうか、無事でいて。それだけを願って、私はまた、冷たい壁にもたれかかった。胃の痛みは、少しも引いていなかった。