鳴り止まぬ無音、壊れていく私。

深夜の光

まただ。スマホが震える。
ネットカフェの薄暗いブースで、私はガタガタ震える手で画面を見た。非通知。やっぱり。
もう、ここ数日ずっとこれだ。夜中になると決まって鳴る、いや、震える着信。出てみても、向こうからは何も聞こえない。ただ、無音。それが余計に不気味で、まるで生きた心地がしない。家じゃ怖くて眠れないから、ネットカフェに逃げ込んできたのに、こんなところまで追いかけてくるなんて。ストーカー? いや、無言電話ってストーカーになるのか?

息が苦しい。胸の奥がぎゅっと締め付けられる。これ、きっと無言電話からのアノイアってやつだ。医者に診てもらった方がいいって友達は言うけど、そんなことしてる間にまた電話がかかってくるのが怖い。常にスマホのバッテリーを気にして、充電器から目を離せない。もう、いい加減にしてほしい。私の生活、めちゃくちゃだよ。

震える指で通話ボタンを押した。当然、何も聞こえない。耳にスマホを押し付けて、神経を研ぎ澄ます。すると、かすかに、本当に微かに「ジーッ」という、耳鳴りのような、電気的なノイズが聞こえた気がした。いや、気のせい?
その瞬間、ブースの奥、PCモニターの端っこに、チカッと赤い光が点滅した。え? 何これ。
また「ジーッ」というノイズ。そしてチカッ。
繰り返す。ジーッ、チカッ。ジーッ、チカッ。
まるで、向こうが何か合図を送ってるみたいに。
心臓がドクンと大きく跳ねた。全身の血の気が引いていく。
あの無言電話の犯人が、このネットカフェにいる?
まさか、私のいるブースの、すぐ隣にいるとか?

息を殺して、周囲を見回す。ブースの壁は薄い段ボールみたいで、隣の人の気配はするけど、姿は見えない。誰も、変な動きをしている人はいない。静かだ。ネットカフェ独特の、PCのファンが回る低い音と、キーボードを叩くカチャカチャという音だけが響いている。
なのに、私の耳には、あの「ジーッ」という高周波のノイズが、どんどん大きく聞こえてくる気がした。目の端では、赤い光が律儀にチカチカと点滅を繰り返している。
これは、絶対、向こうが私に何かしてるんだ。
私の存在を、この赤い光で確認してるんだ。
そう思うと、全身が冷や汗でぐっしょりになった。吐き気がする。胃のあたりが、冷たい石みたいに固まって動かない。ああ、もうダメだ。このままじゃ、本当に頭がおかしくなっちゃう。

「もしもし! 誰なの!? 何がしたいのよっ!」
思わず声を張り上げてしまった。ネットカフェの静寂に、私の声が響く。周囲のブースから、何人かの視線が刺さるのが分かった。でも、もうそんなことどうでもいい。誰でもいいから、助けて。
赤い光は、構わずチカチカしている。ノイズも、私の頭の中で鳴り響く。
もう、無理。ここにいたら殺される。
私は勢いよく立ち上がり、荷物を引っ掴んでブースを飛び出した。店員さんがこっちを見ていたけど、謝る間もなく、私はネットカフェの自動ドアをくぐり抜けた。

夜の冷たい空気が、火照った顔に気持ちいい。
外に出た瞬間、少しだけ、頭が冷えた気がした。
でも、あの赤い光は、まだ視界の端でチカチカと点滅している。
え? まだいるの?
恐る恐る、光の方向へ視線を向ける。
ネットカフェのすぐ隣、更地になった場所に、クレーンが何台か立っていた。工事現場だ。そして、その現場の片隅に、仮設の電源ボックスが設置されているのが見えた。黄色と黒の注意喚起テープが巻かれた、あの電源ボックス。
そこから、真っ赤な点滅灯が、一定のリズムでチカチカと光っている。
そして、その点滅のリズムに合わせて、電源ボックスからは、わずかに「ジーッ」という、ファンの異音のような、電気的なノイズが漏れ聞こえてくる。
ああ、そうか。
これだ。
私のスマホから聞こえていたノイズも、PCスピーカーから微かに聞こえていたと思っていた音も、全部これだったんだ。工事現場の、故障した電源ボックスの音と光。それが、ネットカフェの薄い壁をすり抜けて、私の耳と目に入ってきてただけなんだ。

脱力した。膝から力が抜けて、その場にへたり込みそうになる。
私は、一体何をしていたんだろう。
数日間の睡眠不足と、無言電話の恐怖で、完全に頭がイカれてた。
スマホを握りしめていた手が、だらりと下がる。
また、着信音が鳴った。
今度は、友達からだった。「さっき、店員さんが慌ててたけど、何かあった?」
私は、へへ、と乾いた笑いを漏らした。
「なんでもないよ。ちょっと、勘違いしてただけ」
そう言って、私は凍える夜道を、ゆっくりと家に向かって歩き出した。
無言電話からのアノイアが、一瞬だけ、軽くなった気がした。
でも、きっとまた、夜になったら、スマホが震えるたびに心臓が跳ねるんだろう。
私のアノイアは、まだ終わらない。