静寂が呼ぶ、鳴らない幻聴

終電が出た後の駅のホームは、いつも俺を苛立たせる。漆黒、とまではいかないまでも、街の光が届かない場所は、薄い膜を張ったみたいに薄暗い。そして、なにより、静寂だ。この「静寂」ってやつが、どうにも俺の神経を逆撫でする。いや、逆撫でするどころじゃない。物理的に、脳味噌をギュウギュウと締め付けてくるような、そんな不快感が常にまとわりついている。耳の奥で、脈打つ音がする。ドクン、ドクン。自分の心臓の音まで、この静けさの中ではやけに大きく響く。

数日前から、こんな状態だ。仕事で疲れているせいか、それともただのストレスなのか、とにかくこの静けさが、俺をまともな思考から遠ざけていく。早く家に帰って、家族からの連絡を確認したい。今日はいつもより遅くなったから、きっと心配しているだろう。カバンの中でスマホが震えていないか、気が気じゃない。

電車が完全に遠ざかり、その轟音が完全に消え失せた時、ホームは完全な無音に包まれた。全身の毛穴という毛穴が開いて、空気の重みが肌にまとわりつくような錯覚に陥る。ああ、まただ。この、息苦しいほどの静けさ。本当に精神を蝕む。早くここから立ち去りたいのに、足が、鉛のように重い。

その時だった。

カバンの中のスマホから、「ポピポッ」と、か細い、本当に小さな通知音が聞こえた。反射的にスマホを取り出そうとした、その矢先。ズン、と地響きのような、重苦しい低音が響いた。どこか遠くから、鉄板でも引き摺るような、あるいは重いコンテナを地面に叩きつけるような、鈍い金属音も混じっている。心臓が跳ね上がった。こんな音、終電が出た後に駅で聞く音じゃない。

スマホの画面を覗き込む。LEDライトは点灯していない。通知は、来ていない。おかしい。確かに「ポピポッ」と聞こえたはずなのに。またこの静寂が俺を狂わせているのか? この忌々しい無音が、俺の耳に幻聴を聞かせているのか? ゾワリ、と背筋に冷たいものが走った。

「ポピポッ」

まただ。今度は、さっきよりもはっきりと、通知音が聞こえた。と同時に、またあの重い低音と金属音が、ズン、ズンと不規則に響いてくる。まるで、何かがゆっくりと、こちらに近づいてくるかのように。

今度こそ、重要な連絡に違いない。妻か、子どもか。何かあったのかもしれない。俺は焦って、もう一度スマホを手に取った。液晶画面をスワイプして、通知履歴を確認する。しかし、そこには何も表示されていない。空白。履歴なし。
一体どういうことだ?俺は幻聴を聞いているのか?それとも、この静寂に閉じ込められた空間で、誰かに、何かに、からかわれているのか?

「くそっ……」

思わず声が出た。この静寂の中では、自分の声すら、異様に大きく響いて、余計に恐怖を煽る。どこから聞こえてくるのか分からない、あの不気味な低音と金属音。ズズ、ゴトン、ズズズ……。まるで地面の下から、何かが這い上がってくるような、そんな嫌な音だ。心臓がドクドクと鼓動を速め、冷たい汗が額に滲む。精神を圧迫する静寂が、今度は俺の全身を凍り付かせる。このままここにいたら、本当に何かに飲み込まれてしまいそうだ。

足元がおぼつかない。冷や汗が背中を伝う感覚が、やけに生々しい。俺は、震える手でスマホのライトを点け、恐る恐る周囲を見渡した。どこから音がする? 何が起こっているんだ?

と、その時。

ずっと先のホームの、見慣れない場所に、薄暗い、微かな光が点滅しているのが見えた。まるでスマートフォンの通知LEDが、遠くで点滅しているかのように。まさか、誰かがスマホを落としたのか? いや、それにしては、あの重い低音と金属音は何だ?あの光が近づいてくるにつれて、音も、より鮮明に聞こえてくる。

ズン、ゴトン……。

それは、まるで大型の重機がゆっくりと動くような、不規則な振動音と、金属が擦れ合うような摩擦音だった。そして、あの薄暗い点滅する光。それがだんだんと、その輪郭をはっきりとさせていく。

マンホールだ。

ホームの端に、ぽつんと設置されたマンホールの上に、小型の警告灯のようなものが取り付けられている。それが、規則的に点滅し、薄暗い光を放っていたのだ。そして、そのマンホールのさらに奥、駅の敷地の外れ、道路工事中のバリケードの向こう側から、あの鈍い金属音と低音が聞こえてくる。

「なんだ……これ……」

俺は、思わず力が抜けて、その場にへたり込んだ。マンホールの照明は、工事用の仮設電源から取られているのだろう。深夜の作業、それも駅の近くで大規模な工事をするなら、終電後でないとできない。緊急の補修か、あるいはインフラの更新か。だから、照明はつけっぱなしで、重機もアイドリング状態だったり、資材を動かしたりしているのだろう。

あれだけ俺を恐怖に陥れた音と光が、ただの工事現場のせいだったなんて。通知音に続いて聞こえた重い音は、この工事現場から響く音だったのだ。それが、俺の神経を逆撫でする静寂の中で、俺の精神を追い詰め、勝手にスマホの通知音と結びつけて、誤解を生んでいただけだった。

「はは……」

乾いた笑いが口から漏れた。こんなにも、俺は精神的に参っていたのか。こんなにも、俺は些細な音と光に怯えるほど、この静寂に追い詰められていたのか。情けない。だが、同時に、安堵が全身を包み込む。

しかし、安堵したのも束の間、再びホームには、あの息苦しいほどの静寂が戻ってきた。そして、俺の耳の奥では、相変わらず自分の心臓の音が、ドクン、ドクンと響いている。この静けさが、俺の精神を圧迫する。ああ、早く家に帰りたい。この不快感から、一刻も早く解放されたい。