
最悪。もう最悪だ。なんでこんな時間に、私一人で地下駐車場にいなきゃいけないんだろ。別に誰かが来いって言ったわけじゃない。ただ、もう誰かいる気がする。絶対、後ろに立ってる。肩に手が乗せられてもおかしくない。そう思うと、胃の奥がムカムカしてくる。昨日も一睡もできなかったし、頭がガンガンする。
車のドアロックを解除したのに、すぐには乗り込めない。なぜなら、壁だ。あのコンクリートの壁から、低い、重い唸りのような振動が伝わってくる。音ははっきりしない。どこから聞こえるって言われると困る。けど、確実に地面の奥底から、這い上がってくるような、どす黒い重さがあるんだ。ド、ド、ド……って、心臓に直接響くみたいに。
なんなんだろう、これ。まさか、誰かが壁の向こう側で、何か重いものを引きずってる? いや、まさかね。こんな深夜に。考えすぎだ。いつもみたいに。だけど、本当に誰かいる気がする。後ろに気配を感じるんだ。誰もいないのに。誰もいないはずなのに、この感覚が、私を常に監視してるみたいで、もう気が狂いそう。この振動だって、もしかしたら誰かが私を呼んでるのかもしれない。そんなバカな。
振動が、どんどん強くなっていく。ドンドンドン……。私の心臓の鼓動と重なり始めて、もうどっちが本物の音か分からない。全身の毛穴が開いて、汗がじっとり滲む。ここ、地下駐車場だよ? 照明だって点いてるはずなのに、車のヘッドライトの光が、壁の向こうに真っ黒な影を落として、それがまるで生き物みたいに蠢いて見える。あの影が、壁の向こうで揺れている。影じゃなくて、何か、本当に何かいるんだ。
コンクリートの壁が、ぶるぶる震えてる。耳を澄ますと、壁の向こうから、何か巨大なものが不規則に動いているような、どす黒い気配がしてくる。ゴリ、ゴリ、ガタ、ガタ……。まるで、壁に寄りかかった大きな何かが、ゆっくりと体重を移動させているみたい。壁のシミや影が、人の顔に見える。ヘルメットをかぶった作業員の顔だ。いや、違う。あれは、私の疲れ目が見せる幻だ。パレイドリア現象ってやつ。でも、どうしても、壁の向こうに隠れた巨大な影が、もたれかかるように揺れ動いているようにしか見えない。
まさか。これって、人? 壁の向こうに、誰か隠れてる? そして、その人が、壁に体を押し付けて、私の方を窺ってる? 冗談でしょ? ドンドン、ゴリゴリ、ガタガタ……。振動が、まるでそいつの呼吸みたいに、だんだん荒くなってきた。息が詰まる。喉の奥が乾いて、吐きそうだ。早く車に乗り込んで、この場を離れたいのに、足がすくんで動かない。後ろから、もう一人の私が見てる気がする。早くしろって、嘲笑ってる気がする。その視線が、私の背中をチクチク刺す。
翌日の昼間、どうしても気になって、また同じ場所に来てしまった。
昨日と同じ場所に車を停めて、改めて壁をよく見てみる。昼間だから、薄暗いとはいえ、闇夜に比べればずっとマシだ。
……あ。
清掃用具の山に隠れるように、壁際に、例のものが立てかけられていた。等身大パネルだ。工事現場の安全啓発ポスターで、ヘルメットをかぶった作業員のイラストが大きく描かれている。昨日の夜、私があの影と見間違えたのは、これだったんだ。
恐る恐る、パネルの裏を覗き込む。そこには、清掃用の仮設電源から延長コードで繋がれた、小型の換気扇が回っていた。その換気扇の低い唸りと振動が、コンクリートの壁全体に伝わっていたらしい。しかも、パネルが壁にぴたりと立てかけられていたせいで、換気扇の振動がパネルに乗り移り、パネル自体がガタガタと壁に不規則に擦れる音を立てていたのだ。あの重い振動は、この換気扇の低周波と、パネルが壁に当たる音だったんだ。
呆れて、力が抜けた。まさか、あの恐怖の正体が、こんな工事の宣伝パネルと換気扇だったなんて。バカみたいだ。
笑い飛ばせるはず、だったんだけどな。
どうしてか、胸の奥に残る不快感は消えない。
こんな馬鹿げたことで怯えまくってた自分に、嫌気がさす。
ああ、まだいる。まだ、誰かいる気がする。すぐ後ろに、立ってる。
その気配が、私をずっと見つめてる。
胃のムカムカが、また始まった。
最低だ。本当に最低。