カプセルの闇、赤い目。

深夜二時。カプセルホテル特有の、生暖かいような、それでいて妙に淀んだ空気が俺の肺を満たす。隣のユニットからは、時折「ズズッ」という鼻を啜る音が聞こえてくる。たまらない。普段ならいびきの一つもかいて熟睡している時間なのに、今日はどうにも寝付けない。

原因はわかっていた。この部屋、いや、このカプセルユニットのどこかに、防犯カメラが設置されている気がしてならないのだ。もちろん、普通のホテルならそんなものはない。だが、ここは妙に簡易的で、どこか臨時感がある。そして、肝心の「防犯カメラの死角を確認不能」なのだ。何度寝返りを打っても、体を起こして首を回しても、この狭い空間のどこかに、俺の視界から隠れた監視の目があるような気がしてならない。そのせいか、いつもの持病の腰痛まで、じんわりと嫌な主張を始めた。

じっと目を閉じても、瞼の裏に鈍い赤色の残像がちらつく。気のせいだ、と自分に言い聞かせるが、一度抱いた疑念はしつこい。どうせ寝れないなら、とスマホを取り出してSNSでも見ようかと思ったが、こんな場所で個人情報を垂れ流すのは気が引ける。

その時だった。

足の指先から、ゾワリと薄い冷気が這い上がってくるのを感じた。エアコンのせいか?いや、室温はむしろ高いくらいだ。肌を撫でる空気は生温いのに、なぜか足首のあたりから、骨の髄まで凍るような感覚が忍び寄ってくる。まるで、冷たい水の中にじわじわと浸されていくみたいだ。

「くそっ……」

思わず口から漏れた声は、狭いカプセルの中で不気味に反響した。再び体を起こし、周囲を見渡す。だが、やはり「防犯カメラの死角を確認不能」。どこに隠れているのか、あるいは本当にないのか。その判断がつかないことが、俺の神経をさらに逆撫でする。

寒気は次第に強くなっていった。足元だけじゃない。まるで部屋全体が、少しずつ冷たい沼に沈んでいくようだ。体の表面はべたつくような湿気を感じるのに、内側から芯まで冷えていく。胃のあたりが、ギューッと締め付けられるような不快感。

その寒気の源を探そうと、暗闇に目を凝らした。カプセルユニットの、頭上の棚と壁のわずかな隙間、そこから微かに「キーーン」という高周波の電子音が聞こえる。耳鳴りか、と思ったが、それに混じって、ごく微細な、モーターが唸るような振動音も感じられた。

棚の奥、視界の隅に、ぼんやりとした丸い影が見える。あれはなんだ? 暗闇と、疲労と、そして「防犯カメラの死角を確認不能」という不安が重なって、影がまるで不気味な顔に見えてきた。ぎょろりとした目玉が、闇の中から俺を見つめているような錯覚。心臓がドクリ、と大きく跳ねた。

呼吸が浅くなる。冷や汗が背中を伝うのに、体は震えるほど寒い。このカプセルユニットは、まるで生きているかのように、俺の体温を吸い取っているんじゃないか? その丸い影が、まるで俺の恐怖を吸い上げて、さらに大きくなっているように思えた。

「おい、冗談だろ……」

声が震える。もしかして、本当に何か、いるのか? 幽霊だとか、そういう類いのものに縁がない人生を送ってきたが、この生理的な不快感と、全身を這い回る冷気は、尋常じゃない。足の指先が痺れてくる。腰痛もひどくなってきた。このままでは、本当に心臓が止まってしまうんじゃないか、と本気で思った。

その時、棚の奥の丸い影の中心から、鈍い赤色の光がチカッと瞬いた。それは、まるで血走った目玉のようだ。暗闇の中、その光だけがやけに鮮明で、俺の脳裏に焼き付く。「防犯カメラの死角を確認不能」だったはずなのに、なぜか今、その「目」は俺を真正面から捉えているような気がした。

もう限界だった。恐怖と寒気と、そして腰の激痛がピークに達し、俺は情けない叫び声を上げそうになった。その寸前、震える指でカプセルユニットの照明スイッチを叩きつけた。

パチリ。

無機質な白い光が、狭い空間を照らす。

眩しさに目を細めながら、恐る恐る、棚の奥へと視線を向けた。

そこにあったのは、丸い、手のひらサイズの物体だった。壁と棚の狭い隙間に、粘着テープで無造作に貼り付けられた、黒いドーム型の「防犯カメラ」。剥き出しのケーブルが、すぐ下の既存のコンセントに、これまた無造作に差し込まれている。どうやら設置されたばかりで、まだしっかり固定されていないらしい。そのレンズの脇で、赤いLEDが弱々しく点滅していた。

俺は、しばらく呆然とそれを見つめた。

あんなに「防犯カメラの死角を確認不能」だと怯えていたのに。まさか、こんな隅っこに、しかもこんな簡易な方法で設置されていたとは。暗闇の中、その丸い形状が、棚の影と重なって、不気味な顔に見えただけ。そして、電子音は、カメラ内部の冷却ファンか、あるいは基盤から漏れる微弱な電磁波の音だったのだろう。寒気は、きっと恐怖が生み出した、俺の生理的な錯覚に過ぎなかったのだ。

どっと、全身から力が抜けた。緊張と恐怖で強張っていた体は、今度は情けないほどの脱力感に襲われる。腰の痛みは相変わらずだが、それ以外の不快感は、潮が引くように消え去っていた。

俺は、その防犯カメラをじっと睨みつけた。結局、「防犯カメラの死角を確認不能」だと怯えていたのは、俺自身が暗闇の中で、見慣れないモノを怪物だと思い込んでいたからだ。なんとも間抜けな話だ。

だが、あの生理的な不快感と、得体の知れない寒気は、本物だった。俺は、もう一度、暗闇に戻したカプセルの中で、冷や汗で湿ったシーツに身を沈めた。今度は、もう、何も怖いものはないはずだ。たぶん。