
夜のベランダの謎
ああ、もうダメだ。本当に寒い。体が芯から冷え切って、歯の根が合わないってこういうことなんだなって、ガタガタ震えが止まらない。昨日から急に冷え込んできたと思ったら、今日になってこのザマだ。全身鳥肌で、皮膚の下を冷たい何かが這い回ってるみたい。風邪、ひいたかな。いや、これはもう完全にひいてる。頭もガンガンするし、吐き気までしてきた。
ベランダに出て、缶ビールを一口。喉を通る冷たい液体が、さらに体を内側から冷やす気がして、思わず身震いした。なんでこんな日にベランダなんか出ちゃったんだろう。馬鹿だ、私。ガタガタ、ガタガタ、膝が笑ってるみたいに震える。
その時だった。
カチッ。
ベランダの壁に取り付けられた人感センサーが、不意に赤い光を放って点灯した。
ヒュッ、と喉が鳴った。何が? 何に反応したの?
真っ暗なベランダに、その赤い光だけが不気味に浮かび上がって、私の心臓を鷲掴みにする。
ガタガタ、ガタガタ。急な寒気で震え止まらない。いや、これはもう寒さだけじゃない。
何かが、そこにいる? いや、いない。何も動いてない。風が強かっただけ? でも、センサーはそこらの風じゃ反応しないはずだ。鳥かな。いや、こんな時間に。
カチ、カチ……。
まただ。今度は、さっきよりも頻繁に、微かに音がする。
赤い光も、点滅しているように見えた。
気のせいだ、気のせいだろ。寒さで頭が変になってるんだ。そう自分に言い聞かせても、ガタガタと止まらない震えは、もう私の意志とは関係なく全身を支配していた。
全身の毛穴という毛穴が開ききって、冷たい空気が直接体の中に入ってくるみたいだ。寒い、本当に寒いのに、背中に嫌な汗がじっとり張り付く。
カチ、カチ、カチ……。
音が、だんだん大きくなっているような気がする。規則的な、でも、どこか不安定な電子音。
まるで、何かが私に近づいてきているみたいだ。
もう駄目だ。足がすくんで動かない。ベランダの手すりの向こう、暗闇の中に何かが蠢いているような錯覚に陥る。
幽霊? 泥棒? どっちも嫌だ。いや、幽霊の方がまだマシかもしれない。生身の人間相手にこんなガタガタ震える体じゃ、私は一体どうすればいいんだ。
心臓がドクドクと不規則に脈打って、耳の奥で自分の血流の音が聞こえる。頭が痛い。本当に、早く部屋に戻って布団に潜り込みたい。でも、その一歩が踏み出せない。
その夜は、ほとんど眠れなかった。
ガタガタ震える体で毛布にくるまり、布団の隙間から冷気が入り込むたびに、あの赤い光とカチカチという音がフラッシュバックする。
翌朝、どうにかこうにか体を起こして、ベランダに出た。
昨晩の恐怖と体調不良で朦朧とした頭で、あのカチカチ音の正体を探した。
昨日よりは少しだけ寒さが和らいでいる。それでもまだ、肩が凝り固まっているような、全身が石になったような重さがある。
ふと、植木鉢が並んだ隅に目をやった。
そこには、小さな黒い塊が転がっていた。
植木鉢の陰に隠れて、普段は視界に入らない場所。少し屈んで覗き込まないと見えない死角だ。
手に取ってみると、それは私のボイスレコーダーだった。
ああ、そういえば、昨日、外で虫の声でも録音しようと思って、そのまま放置していたんだっけ。
そのボイスレコーダーの電源ランプが、チカチカと赤い光を点滅させている。
そして、耳を澄ますと、そこから微かに「カチ、カチ」と、電池切れを知らせる電子音が聞こえてくるではないか。
しかも、その音は、人感センサーが作動する時の「カチッ」というリレー音に、妙に似ていた。
なんだ、これかよ。
赤いLEDの点滅。電池切れの電子音。
それが、あの暗闇の中、恐怖に怯える私の耳には、人感センサーが何度も作動している音として聞こえていたのだ。
思わず、はぁ、と脱力した。
同時に、昨晩の自分の狼狽ぶりに、なんだかおかしくなって、乾いた笑いが込み上げてきた。
バカみたい。本当にバカみたいだ。
でも、あの尋常じゃない寒さの中で、ガタガタ震えながらあの赤い光と音を聞いたら、そりゃあんな風にもなるだろう。
ああ、もう本当に身体中が痛い。冷え切った体には、この安堵感すら重たい。
真相は分かった。でも、まだ、背中にあの冷たい汗の感触が残っている。
カチ、カチ、と鳴り続けるボイスレコーダーをポケットにしまい、私はもう一度、震える体で深いため息をついた。
早く暖かい布団に潜り込みたい。そして、熱いお茶を飲んで、このガタガタ震える体を、もう一度温め直したい。
あの夜のベランダの謎は解けたけれど、体の中に染み付いた寒気と恐怖は、まだしばらく私を離してくれそうになかった。